高瀬川は富田川の支流で蛍が住むほど綺麗な川です。一帯は白浜町のホタル保護条例で採集することを禁じられています。

今朝(16/11/30)この堤防を歩いていると今秋渡ってきたカモ12羽が食事中でした。いつまでもカモたちの餌場であることを願っているんですが。12月5日の夕刻すれ違った老婦人が昨日より3羽増えて15羽になっていると教えてくれました。

近くを通る高速道路ができるまでカワセミが1羽棲みついていましたが開通後、どこかに引っ越したのか最近見かけず歩くのに寂しい気がしていたところですがカモが増えたと聞いた後、きれいなヒスイ色したカワセミが戻っているのを確認できました。

これも寂しい話題ですが飛鳥橋の下にあったバイカモがここ数年の内になくなったという人がいます。漢字では梅花藻と書き白の花びらに黄色の雄しべで水中で咲いています。きれいな流水に育つそうです。琵琶湖周辺の米原市醒井の居醒の清水なんかが有名ですね。

 

川の名前の由来は、森鴎外の小説「高瀬舟」で有名な高瀬川から来ていると考えられていましたが、実はそうではなさそうです。

なぜなら、「高瀬舟」は明治期の小説であり、京都で高瀬川と呼ばれるようになる以前から、白浜富田の高瀬川はそれ以前から呼ばれていたようだからです。

江戸期に、十九淵村、芝生村とならんで高瀬村があったのでその村名に因むというのが正しいと思います。ただ高瀬川流域には小倉山、飛鳥山、愛宕(アタオ)山など昔の都に因んだ山があることも無関係とは思えないのです。

富田川の大うなぎは国指定天然記念物ですが、高瀬川でも時たまその稚魚が見つかることもあります。成長に伴っての住処がないのが残念です。今でこそ、水流も少なく子供たちの泳ぐ場所は、通称「かんのん=観音」と呼ばれる淵が一か所だけですが昭和30年代に堤防の大改修が行われるまでは岸辺に柳が生えて風情があり、二段淵、三段淵など多くの淵で子供たちが川遊びする姿が見られました。現代風田舎のウォーターフロントというところでしょうか。上流部に小滝という霊気漂う場所があります。昔から川の主が棲むといわれ干ばつの時には此処で雨ごいなどもしたところです。周辺には小さな祠があり、またこの辺では珍しいイチイガシが群生しています。主にまつわる奇妙な話がありますがまたの機会に。

10年ほど前には中流部の集落近くでカシャンボ「=河童」の足跡が見つかったと大騒ぎになり、地方紙が大々的に報じ全国ネットのテレビで流れ、東京から大学の探検部が泊まり込みで調査したこともあります。それは一度ではなく十日後に再び現われました。

今から考えると足跡には水掻きがなく一本足の大きな生き物のようなので妖怪の種類は熊野に現れたという「一本ダタラ」ではないでしょうか。

河童については郷土史家が過去に地方紙に連載したこともあり、南方熊楠が「歩く百科事典」と評した広畑岩吉から聞いたとして高瀬川の河童の話を紹介しています。

川は小さな川ですが実に沢山の橋が架けられ堤防の全面改修する以前には十六本もの橋がありました。今では珍しい木造の橋があり、珍しい「スノコ橋」があり、名前にもそれぞれにいわれがあります。対岸の人家の名前が橋名になっているのも珍しくありませんか。

 

また、高瀬川の源流とするところは合併前には町内の最高峰といわれる塩津山で、富田坂を安居に越える途中「安居の一里松」の近くです。