熊野神社 (桜の宮)  

 

 住所 和歌山県西牟婁郡白浜町才野1757

  熊野神社は、JR紀伊富田駅から1~2㎞程の所にある、権現平(ごんげんだいら)と呼ばれる海岸段丘

 の平坦地にあります。

 1893年(明治26年)に建立されています。 建立は、次のような伝承を基に行われたといわれています。

 

(伝承)

 本宮に鎮座している熊野権現は、本宮に鎮座する前に、一旦、権現平に鎮座したと伝えられています。

 一旦鎮座したものの、権現平は海の近くで波の音がやかましので、静かなところ求めて日置川を遡りました。

 三舞の「追ケ芝」に鎮座しようとしましたが、ここでも波の音が聞こえたので、理想の地を求めて再び旅立ちました。

 その時に、次ぎの歌を詠まれています。

  「浪の音聞かずがための山住まい 声色かえて松風の音」

その後、田辺市熊野(いや)に鎮座地を求めましたが、滝や水音がやかましく、本宮に向けて旅立ち、遂に、熊野川

と音無川の合流点の中州に理想の土地を見つけて、永住を決められました。

 

(桜の宮)

 熊野神社は、桜の名所として知られ、「桜の宮」とも呼ばれています。

 1901年(明治34年)、才野地区から6人が北米に移住することになり、それを記念して参道に山桜の植樹が行わ

 れました。 山桜は、大正時代になって大木となり、春になると参道は、桜のトンネルができました。

 昭和になって、道路が整備され、鉄道の開通によって、桜の時期には、大勢の花見客が押し寄せるようになり、

 毎年4月15日の例大祭の日には、田辺駅から臨時列車が運行されるほどのにぎわいを見せたそうです。

 戦後、食糧増産のため桜の木は伐採され、畑に変えられてしまいました。

 1952年(昭和27年)、地元の青年有志が中心となり、桜の宮復活を目指して植樹活動が再開され、現在、「さくら会」

 に引き継がれて活動が続いています。 ことごとく伐採された「紀州権現桜」ですが、熊野神社で採取された実が、西宮

 市で育てられ、バイオ技術で苗が作られ、平成6年に熊野神社に里帰りし、境内に植樹されています。

 

(古墳群)

 熊野神社の背後には、8基の古墳が点在しています。

 「権現平古墳群」と総称される古墳は、いずれも竪穴式石室の円墳で古墳時代中期(5世紀)のものと言われています。

 古墳群中最大のものは、直径約21m、高さ約5mで、出土遺物は、人骨や武具類、円筒埴輪等で、かつて盗掘にあい、

 往時を偲ぶことはできません。  県下最南にある古墳群です。