白浜町のページへようこそ!

白浜町の隠れた魅力の数々を知っていますか?

 □ 白浜の自然

  ・ 志原海岸

  ・ シガラミ磯と五色ヶ浜

  ・ 高瀬川

  ・ 安久川の蛍

 □ 白浜の歴史

  ・ 安久川古墳

  ・ 安久川の千体仏群

  ・ 歓喜神社

  ・ 熊野神社(桜の宮)

      ・ 鴨居と小さな神社 

     ・ 鴨居の地蔵堂

 

 

 □ 白浜の交通

  ・ 南紀白浜空港

  ・ 白浜駅

 □ 白浜の暮らし

  ・ 白浜の上水道

 

■ 白浜について

 白浜は平安時代の歌人西行が「浪よするしららの浜のカラス貝 拾いやすくもおもほゆるかな」

と詠んだように白良浜は雪と見まがうほどまっ白です。それは石英岩が渚に長く供給し続けてきたからです。

明治時代からは阪神地方のガラス工場に積み出され瀬戸鉛山村(白浜の旧町名)の貴重な財源でした。

明治から大正時代の30年余り採取し続けましたが、これでは観光地としてはガラスの材料を送り続けることはマイナスになると判断し、中止しました。

その頃、御坊の実業家小竹岩楠らが中心になって白浜温泉の開発に着手しました。それまでの白浜温泉は

湯崎の素掘りの温泉があるのみで内湯はありませんでした。小竹らは白良浜の近くでボーリングでの温泉湧出に

成功し、第一号は白浜館に引かれました。それは今御船の谷の足湯に利用されている「生絹の湯」です。

さてこれは何と読むのでしょうか。「すずし」と読み、源氏物語や枕草子にも出てきます。

小竹翁の銅像が御幸通りの常喜院バス停のところにありますが翁の功績は白浜の発展を考える時、忘れてならない一人でしょう。

 

この白砂が他の海岸の色と同じように黒っぽくなるという危機が訪れました。白浜の開発が進むにつれて浜の後背地から供給されていた石英砂はストップし海への排水も汚れることで海岸が汚くなりました。町では都市下水の整備をし、減った白砂はオーストラリアから輸入し、また海岸の整備をして従来の白い海岸に戻ることができました。真夏の白浜はパンダと共に観光地としての魅力を発信し続けています。

オーストラリアに関することでは地元で長く白良浜の研究しているSさんは白良浜の砂の元はオ―ストラリア西海岸から来たのではないかとの壮大な仮説を立て研究を続けています。

 

一昨年から白浜は「南紀熊野ジオパーク」として認められ、円月島,千畳敷。三段壁や泥岩岩脈、化石漣ā痕はジオサイトとして従来の観光サイトとは違った魅力が発見されるはずです。今は世界ジオパ―クの認定目指す作業を進めています。

 

(紀州郷土学チーム白浜)