八立稲神社〇八立稲神社 やたちねじんじゃ
宮司名:長澤 好晃
鎮座地:〒646-0059
    田辺市古尾17番5号
祭 神:(主祭神)国常立尊、配祀国狭槌尊、月読尊、伊邪那岐尊、他8神
    (配祀神)大国主命、倉稲魂神、天照大御神、上筒之男神、中筒之男神、底筒之男神
境内社:大那牟智神社、稲荷神社、出立神社、住吉神社
例祭日:10月第2日曜日
特殊神事:雛人形焼納神事
主たる建造物:本殿(流造 11,1㎡) 拝殿(入母屋造 24,8㎡) 社務所(92,6㎡) 幣殿(6,6㎡) 手水舎(2,3㎡)
境内地:5.1811㎡
氏子区域:古尾、出立

〇由来
創立年代は不詳であるが、『神社明細帳』明治13年には天平勝宝8(756)年のころに勧請としている。
しかし、紀伊続風土記は天正年間(1573)に上野山城主杉若越後守のときに鎮守とした伝之を示す。
旧社名の東八王子社から日吉信仰(日吉大社)による勧請といえる。

明治6年4月、村社となる。
同40年2月、一村一社の神社合祀で村内の神社(目良の八幡神社、出立の出立神社)を合祀、更に字尾の崎の産土神であった稲成神社をも移し、同年社名を現在の八立稲神社に改称。
同42年12月、西郷の上ノ山西神社(旧西八王子社)を合祀した。
同44年11月、幣帛料社に指定。
大正3年2月、会計法適用社に指定される。
その後、目良の八幡神社、西郷の上野山西神社(現西八王子宮)が遠隔地である理由等に因り離脱し、それぞれ元神社で遙拝するに至った。

〇例祭
田辺市を流れる会津川の河口から約500m上流地の左側、上の山の高台に鎮座ます八立稲神社は、秋の例大祭と共に、2月の節分祭の時雛人形の焼納神事が近在に有名である。
例祭前々日になると神社に多数の幟を立て、提灯を出し各宿にも幟を立て、軒灯を掲げ、また御幣の調整や境内の装飾、注連かけなどの祭礼準備がすすめられる。
宵宮祭は、午後5時より神社総代、当番宿主、当番役員等参列して執行する。
式終了後は、当番宿の有志が社務所に集まり、翌朝まで夜を徹して、火当番を行う。
一般参詣者には、1年の健康を祈念して御神酒と昔からの慣習である当番宿からの仕出しのおむすび(きな粉にぎり)が授与される。
例祭日は、早朝より宮総代が出仕し、前夜から火当番をしている当番宿の者と交替し、宮守を引き継ぐ。
午前中は参詣者の接待を行う。
正午から12時半までに御渡参列者が本殿前に集合し、午後1時より住矢渡行列が出発する。
先祓いを先頭に、江川桝潟町の汐垢離場に到着すると汐垢離式を挙行する。
式終了後は出立獅子舞の奉納があり、還幸となる。
帰途、会津川西詰で待機していた古尾子供獅子舞や子供御輿も合流し、神社まで華やかに練り歩く。
神社到着後、例大祭執行、式典終了後は古尾子供獅子同好会々員による獅子神楽(祓いの舞・幣の舞・寝獅子・花・剣の舞)の奉納があり、例祭行事を終える。
例祭終了後は、町内輪番制となっている来年度の当番引き継ぎが行われる。
和歌山県神社庁ホームページより】

南方熊楠と八立稲神社
八立稲神社は熊楠が採集をおこなったところです。また、西八王子宮の復社の際には尽力し、1912(明治45)年1月5日には、西の王子の「復社祭り」に招待されています。出席しなかったら、翌日、祭礼のご馳走と鏡餅がとどけられたと日記にあります。餅は翌年の祭礼日にもとどけられています。

 

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