正平11(1356)年、禅僧密翁老山和尚により地蔵菩薩を本尊として開かれた。応永年間(1394~1428)那須与一宗高の末裔の那須定守は、与一終焉の地を求め熊野街道を行脚中、不動寺で与一の墓碑を発見し、この地の地頭となる事を請願。正式に地頭として赴任した。そして与一の時念仏である不動明王を興隆したと伝えられている。

その後、2度の戦禍により不動寺は焼き尽くされてしまったが、村人たちにより元禄時代(1688~)には曹洞宗法輪寺の末寺として復活した。文化14(1817)年には庫裡を建立し現在にいたる。

伝 那須与一の墓碑

伝 那須与一の墓