闘けい神社は、古くは新熊野鶏合権現(いまくまの とりあわせごんげん)と呼ばれていました。平家物語によると、熊野別当・湛増は、壇ノ浦の合戦で源氏と平家、いずれにつくかを神前の闘鶏で占ったとされ、これが神社の名前の由来になっています。湛増の鉄扇や鉄の烏帽子、弁慶が生まれたときに産湯を沸かしたとされる弁慶産湯の釜、源義経から贈られたとされる横笛などが神社会館1階に展示されています。