紀州梅の歴史

和歌山県では年間35tもの梅が生産されています。

この65tというのは、全国の生産量の6割です。

なぜこんなに多くの梅が作られているのか、調べました。                            

 

梅の栽培条件

・日当たりが良い

・水はけがよい

・年平均気温が7℃以上

 

梅の栽培の歴史

江戸時代、紀州藩田辺領下において、やせ地は免租地となることから農民がそこに梅を栽培したことが本格的な梅栽培の始まりといわれています。

また、田辺領がやせ地を利用した梅の栽培を奨励し、保護対策をとったため、田辺・南部地方を中心に広がったとも伝えられています。

明治時代初期からは梅干し製造業者も出現し、明治10年代にはコレラ・赤痢という病気の流行があり、梅干しの需要が多くなりました。

(梅干しにはチフス・コレラ・赤痢・食中毒などに対し、梅干しの殺菌効果は大きな力を発揮するそうです。)

梅の栽培が急激に増加したのは、明治40年以降だそうです。

これは、日清・日露戦争、第二次世界大戦による軍用食としての梅干しの需要の増加によるものでした。

しかし、第二次世界大戦末期から昭和22年頃までは食糧難のため、梅の木を伐採してさつまいもを栽培したことから、梅の栽培面積が著しく減少したそうです。

戦後、社会経済の復興とともに、果実類の需要も増加し、梅の栽培も昭和30年代以降は急速に伸びています。

その後、優良品種の「南高梅」などの出現と高度経済成長期に入り、食生活の多様化による梅の需要の伸びなどにより、昭和35年頃からさらに栽培面積が増加しました。

一時、梅干しの需要の伸び悩みなどがありましたが、昭和56年頃から健康食品ブームなどによって、梅干しが消費者に見直され、価格の上昇と面積の増加がはかられており、質・量ともに日本一を誇っています。