角谷甚太郎(かどやじんたろう)
鰹節の始祖とも呼ばれる。
初代甚太郎‥土佐に鰹が豊富な漁場を発見。 通い漁をしつつ、土佐で加工をしていた。
二代目甚太郎‥父と同じく土佐へ行き、燻乾法を考案。
印南へ帰っていた時、宝永南海地震で亡くなる。(印南の印定寺にある合同位牌に名が刻まれている)
森弥兵衛(もりやへい)
宝永南海地震の後、薩摩の枕崎へ行き、燻乾法を伝える。
当時は藩の許可なしに、他国へ技術指導はできなかった(門外不出の法)が、
紀州藩が弥兵衛を縛れなかった理由は不明
印南與一(いなみよいち)
房総へ燻乾法を伝えるが、門外不出の法を破った掟破りとして、紀州へ帰った時に追い返された。
千葉県の千倉に墓がある