太地町は本州の南端、紀伊半島の東側に位置し、黒潮躍る熊野灘に面し、霊場熊野の山々を後に控える自然豊かで、歴史と文化を継承する港町です。

太地は日本における捕鯨発祥の地だと言われています。

太地町の捕鯨は江戸時代から始まりました。当時はまだ捕鯨技術が未発達で海での事故が頻繁にありました

そんな中、1878年(明治11年)に捕鯨中の事故により百名以上の死者を出す大背美流れが起こったため、この鯨方も中止されました

しかし25年後、近代的な大資本による捕鯨基地として多くの船で賑わい、鯨体の処理場や鯨を缶詰にする工場もでき、太地は再び捕鯨産業が盛んになった。しかし捕鯨は、資源の枯渇などから国際捕鯨委員会を中心とした規制が進み、最終的には商業捕鯨モラトリアムにより、資源状態に関わらず全面停止となった。これにより1988年には太地でも、沿岸のミンククジラ漁を含むヒゲクジラ商業捕鯨が中断されました。以後は、捕鯨砲を用いてゴンドウクジラ類やツチクジラを捕獲する小型捕鯨業と、追い込み網漁などの「いるか漁業」だけが行われるようになりました。