梅の歴史

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  • 奈良時代以前・・・中国文化と共に遣唐使が 薬木として、中国から日本に持ち帰ったものといわれている。(古くから日本に自生していたという説もある)

※日本では、花がまず人々の関心をひき果実の利用はその後になったのに対し、中国では果実の利用が先であったようで、古事記が成立(712年)する200年余り前に梅の塩漬けが記録されています。

  • 平安時代中頃・・・日本で梅干しが初めて登場した。中世以降において果実の利用が盛んになってきた。
  • 鎌倉時代以降・・・実の多くは梅干しとして食用に、花は鑑賞用に、ほかに薬用としても重宝がられ、人々に愛されてきた。
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梅のことわざ

塩梅

昔の料理の味付けとして、塩と梅酢を使ったことから絶妙なバランスだったことから「塩梅がいい」と言っていた。

現在では、とても具合のよいことを「いい塩梅」といい、幅広く使われる。

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梅の木学問

 

梅の木は、成長は早いが、大木にはならないことから、にわか仕込みで不確実な学問のこと。

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和歌山でなぜ梅が盛んなのか

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良質で収穫量の多い梅栽培には、水はけの良い土壌が適していて、 また、梅は成長時にカルシウムを多く吸収します。

みなべ町に多く見られる「瓜溪石(うりだにいし)」は、主に炭酸カルシウムからできており、良質な梅の栽培に適しています。また、日高郡みなべ町は、和歌山県の中部に位置し、

ほとんどがゆるやかな丘陵地帯で占められています。黒潮の影響を受け気候は一年を通じて温暖で、そして日照時間が長いという梅の生育に適した地域だからです。

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