田辺城 

田辺城は江戸時代初期に作られたお城で、会津川の河口に作られました

初代城主は徳川家康の家臣の安藤直次でその後も安藤氏の一族がここを拠点に

西牟婁全域と日高郡の一部を治めました。

平和な江戸時代に作られたため戦うための設備はほとんどなく

お城の規模は200m×200mと小規模なものでした。

今でいう市役所のような存在だったのではないかと思います。

しかし、幕末期には串本に外国船が来たこともあり、台場がおかれました。

また、現在では主に錦水城とも呼ばれていますが、城のお堀の水が美しかったから、

井戸の水がきれいだったからなどいくつかの説があってはっきりとしたこと

は分かっていません、しかし城が美しかったことは間違いないようです。

現在跡地は錦水公園という公園や住宅になっていて、水門しか当時の

建物は残っていません、しかし、錦水公園や田辺第一小学校の学校新聞

錦水新聞など様々な形で今に残っています。