皆さんは”植芝盛平”と言う人を知っていますか?

この人は日本の武道家として有名な人です。田辺市の偉人の一人でもあり、田辺市の人なら「合気道の創始者」として主に知られています。

その前に、合気道とは何かを説明します。合気道とは、植芝盛平が日本古来の柔術・剣術などの武術を研究し、独自の精身哲学でまとめ直した体術を主とする総合武道です。柔道と勘違いをする人もいますが、柔道とは違って試合がない、つまり勝敗を争ったりしません。相手を尊重しあい日々稽古に取り組むのです。

実際に僕の出身校である明洋中学校では、毎年秋頃になると体育の授業で”合気道”と言う武道を習います。

~プロフィール~

・身長156cm・体重75kg

1883年(明治16年)12月14日、和歌山県西牟婁郡西ノ谷村(後の田辺市)の富裕な農家・植芝家の長男(姉3人・妹1人)として生まれた。1896年(明治29年)13歳。田辺中学校に進むが一年を経ず中退、珠算学校を経て田辺税務署に勤務する。1931年(昭和6年)48歳。新宿区若松町に道場「皇武館」を設立、激しい稽古振りから「地獄道場」と呼ばれる1948年(昭和23年)65歳。2月9日に「皇武会」は「財団法人合気道会」(初代理事長・富田健治)と改称、岩間の合気苑を本部とし、改めて文部省の認可を受けた。この時はじめて正式に「合気道」を名乗る。これにより盛平は初代合気道「道主」となる。

少しだけ合気道の技の名前を紹介します(>_<)

小手返し、四方投げ、天地投げ、入り身投げ、、、などがあります。