熊野古道とは熊野三山へと通じる参詣道の総称のことです。
熊野三山とは熊野本宮大社、熊野速玉神社、熊野那智大社のことを指します。
熊野古道のルートはすべてで五つの道でできており、五つの道とは、紀伊路、小辺路、中辺路、大辺路、伊勢路のことを指します。
熊野の名前の由来は一つめとして熊が隈であってこの意味が遠く奥まった地、地の果てという意味からの説があります。
二つめは隠国の音が変化した説があり、隠国というのは古代の人々が死者の隠れるところと呼んだらしいです。
そして、熊野参詣の歴史をたどると、907年の宇多法皇の熊野行幸が最初といわれています。その後、熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったきっかけは、1090年の白河上皇の熊野行幸からといわれています。白河上皇は9回の熊野行幸を行ったといわれています。その後、後白河上皇も33回の熊野行幸を果たしています。
中世期以降には蟻の熊野詣といわれるほど、庶民や病人に至る多くの人々が行列を作り、魚、肉、ねぎ、にら、などを絶つ潔斎をしながら、長く険しい祈りの道を歩きました。今でこそ交通機関が発達し、気軽に行くことのできる熊野詣だが、かつては道を歩いている途中で倒れて亡くなる人々も多かったといいます。
それなのになぜ昔の人々は、何度も厳しく険しい道を越えて熊野三山へ詣でたのでしょうか。
それは、信じる者もそうでない者も、貧しい者も富める者も女性も、病を持つ者も等しく祈念の機会を与えられてきたからです。また、熊野詣の回数が多いほど熊野権現の功徳が深まると考えられ阿弥陀如来に願えば、死後の救済はもちろん、現世での安楽もかなえられると信じられたといいます。
そして、2004年に紀伊山地の霊場と参詣道の一部としてユネスコに世界遺産登録されました。このような背景があったと踏まえた上で熊野古道を歩いてみてはどうでしょうか。