野上彰詩碑 (新町橋西公園,徳島市新町橋1丁目) [Wiki (野上彰)]
野上彰の詩「前奏曲抄」が、川端康成により書かれている。
野上彰顕彰碑銘
野上彰 本名藤本登
明治42年徳島市に生まれた
徳島市立寺島小学校(現内町小学校)
徳島県立徳島中学校(現城南高等学校)
第7高等学校を経て
東京帝国大学文学部に入学
のちに京都帝国大学法学部に転じたが
昭和8年瀧川事件で大学を去った師に殉じて退学した
昭和11年文人囲碁会結成を機縁として川端康成 豊島與志雄を識り
師と仰いで文学の道を志す
昭和20年終戦の混乱期にあらゆる分野の芸術家を結集して芸術前衛運動「火の会」を起こし日本現代芸術の行く手を照らす火をかかげ郷土の文学青年らにも精神的支柱を与えた多芸多才 詩・小説・放送劇・戯曲・翻訳・童話等すべてをよくした「東京オリンピック賛歌」「阿波祈祷文」「ヤギの子」も君の作であり一貫してうたうところは「愛」と「生命」の賛歌であった
昭和42年没 享年58
昭和46年7月
野上彰詩碑建立期成会 会長 武市一夫