ふるさとを知ること について知っていることをぜひ教えてください

2015年11月15日、東京の大学院で学んでいる私たちは、富里市の歴史や文化について伝える活動を行っておられる林田様、小学校教諭の松岡先生にお話を伺う機会をいただいた。

 

「わたしのふるさとって、どんなところだったかな?」

お二方の話を伺いながら、ふとそんな考えが頭をよぎった。松岡先生は、小学校で富里市の歴史や文化を伝える教育に取り組まれているそうだ。

(富里市の夕焼け)

 

私のふるさとは、北関東にある栃木県の某市である。私も子供の頃、小中学校の学習プログラムで、市の歴史や文化を調べたり、まち歩きをしたり、郷土館の清掃を毎年生徒持ち回りで行っていたり、そういえばそんなことをしていたと思い出した。

学習発表会では、ふるさと生まれの作家の小説を演劇にして発表したり、ふるさとの祭りに使う音楽を合奏したりもした。

当時、時には親にわからないことを聞いたりしながら進めた調べものや、同級生と行うグループワークでは新しい発見があったこと、まちあるきや清掃もイベント気分で張り切っていたことを思い出した。今もふるさとの祭の音楽は良く覚えているし、身体に染みついているのか、盆踊りの振り付けも忘れていない。

大学進学を機にふるさとを離れて早云年。その途中で何度か引っ越しや留学、仕事を経験して色々なまちに住んだし、今では結婚してふるさとからは少し遠いところに住んでいる。

けれど、テレビでふるさとにゆかりのある情報や人物を見かけると、思わず録画をしたり「今○○市がテレビに出ているよ」と親に電話をしたりして、見入ってしまう。スーパーでふるさと産の野菜があると、思わず手に取って、少し高くても買ってしまう。

ふるさとの歴史や文化を知ることで、気付かない間にふるさとを愛しく思うようになり、ふるさとを大切にしたいと思う「豊か」な気持ちが生まれる。子どもの頃に知ったふるさとの魅力、愛する心は失われていない。

 

私は今、大学院に入りなおした立場でまだまだ修行の身ではあるが、いつか故郷に錦を飾れるようになって、仕事を通して親や親戚、友人が安心して暮らせるような、役に立つことをしたいと考えている。そんな思いにさせてくれたのは、当時は意識していなかったが、子どもの頃にふるさとを知るきっかけがあったからだろう。

けれど、ふるさとを知ることのもつ意味は、きっとそれだけではない。毎日の景色の色が変わり、当たり前の風景や出来事を大切に思うきっかけになるかもしれない。勉強したことが将来の夢につながるきっかけになるかもしれない。今すぐに、何かを感じなくても、大人になってから感じることもある。

 

話は少しそれるが、以前ビジネススクールに通っていた際、こんなことを学んだことを思い出した。

本当にすばらしい実践型の教育というものは、その時完全に理解されて終わるものではない。その時にすべて解決してしまったら、それを後につなげる意味がなくなってしまう。一方で求められるべき教育は、何となくわかったようなわからないような「もやっ」とした感覚、つまり、もっと知りたいという消化不良感を残すものである。

消化不良感を感じた本人は、それを、他の人との話し合いにつなげるなどフォローし合ったり、色々な経験を積みながら、時間をかけてゆっくり解釈し、それを自分なりに活用してこそ、長期的に意味のある学習となる。

 

小学校で子どもたちに富里市の歴史や文化について熱心に教えておられる松岡先生の教育は、きっと長期的に大きな拡がりを持たれるのであろう。

聞くところによると、すでに教え子たちは富里市について学んだことを基に、さらに自主的に調べて拡げる姿勢を身に付け、自分たちでさらなる情報を得るようになったという。子どもたちの未来は、富里市の未来は、きっともっと「ひらいて」ゆき、明るいものになるに違いないと確信している。