明治時代(140年前)の富里
学習問題1
富里は,どのように開拓されたのだろうか。
江戸時代、徳川幕府がなくなり、牧場から荒れ地へ。では、何が起きたのだろうか。学習問題を立て、具体的に調べるために、みんなで計画を立てた。
学習計画
- どのような人が開拓したのだろうか。
- どのような方法、道具を使ったのか。
- 水の確保はどうしたのか。
- 食べ物。
- 家。
- 暮らしで大変だったことは何か。
- 学校はあったのか。
「わたしたちの富里市」の資料を見ながら,予想を立ててみた。開拓者の人数の激減しているグラフや当時の絵を見て,子ども達の反応は・・・「開拓が成功して,人数が減ったのかなあ。」「減っているのは,大変だからだよ。」「家も洋服もボロボロだよ。」「学校や水は,どうしたんだろう?」調べたい意欲が,高まってきたところで調べ学習を開始。
調べ学習
調べ学習が好きになるために,ノートを見たときに分かりやすいこと,簡単に箇条書きで書くこと,自分の考えを書くこと,資料を好きなように切って,レイアウトしながら,楽しくノートを作ること。上手な子をお手本に見せたり,励ましたりしながら調べ学習を進めていく。「答えは,ここに出ていた!」「おかぼってなに?辞書で調べたことも書いていい?」など,調べる活動を学んでいく。
調べ学習の資料 [ わたしたちの富里市]
確かめる学習
調べたことを,みんなで確かめる活動。
- 政府は,牧場だった富里の地を開拓するための会社をつくり,生活に困った人たちに開拓を始めさせた。農業になれていない武士や町人が開拓を行ったが,開拓はうまくいかなかった。
- 道具(まんのくわ,かま,こえおけなど)全部手作業で行った。
3. 井戸水があったが,かれてしまい川までくみに行き,大変な思いをした。
4. 栄養のない土地で,作物を育てるのは大変で,そこでも育つアワやヒエ,おかぼ(陸の稲)を食べていた。
5. 自分たちで開拓する人は,「おがみ」という簡単な作りの小屋に住んでいた。
6. 食べ物や道具などが少なかった他に,台風や火事で人の住める町では,なくなってしまった。また,開拓会社が解散することとなり,生活できなくなった人たちは, 土地を手放して,富里から去ってしまった。しかし,その後開拓に入る人が続き,今の富里を作っていく。
7. 國本学館という学校があった。
まとめ,感想
東京や埼玉の武士や町人が開拓をしたのは,驚きだったようだ。食べ物や水に困り,当時の人たちは,大変な思いをしながら,手作業をしていた。実際に,くわなど道具を見せた。子ども達は,「これでは,大変だよ。」と実感したようだ。この後,富里はどうなってしまうのだろう・・・