旧岩﨑家末廣別邸 について知っていることをぜひ教えてください

 

 

欧米のような芝と開けた明るい敷地に日本庭園のような自然な樹木の配置。

美しいこの土地の植生を保存した森に囲まれる檜の館は、大正末期から昭和初期にかけて建築された。岩﨑彌太郎の息子、久彌が晩年を過ごした末廣農場の中核が主を失ったあと、数十年の沈黙を経て修復を施されている。

富里市役所と専門家たちの努力で、公開の日を待っている。三菱と岩﨑の誠実な歴史が富里で発信されることになる。

 

 

 


旧岩﨑家末廣別邸 について知っていることをぜひ教えてください

雨降る末廣別邸

 

三菱財閥と言えば、何を思い浮かべられるだろうか。
明治、岩崎彌太郎、
海運、商会、
炭鉱山事業、造船、銀行、
麦酒、製紙、電機・・・。

そして戦後の日本において、
各々の業界でトップクラスを誇る商社・重工・金融を内包する、
現在の三菱グループに至るだろう。


さて、それではこの富里が、
明治から脈々と続いているこの組織に縁ある土地だということを、
どのくらいの人が知っているだろうか。

富里市役所、富里小学校、ラディソンホテル成田(Radisson hotel narita)を結んでできる三角形の中心に、
三菱財閥三代目総帥 岩崎久彌氏(岩﨑久彌伝)が遺した旧岩崎家別邸が、
今も当時の風景を感じさせるように佇んでいる。
富里の中心地は昔、岩崎久彌氏の私的な実験農場であったのだ。(末廣農場物語


様々な樹木を魅せるこの邸宅に市外から数々の訪問客がやって来るが、
この屋敷とかつて有った農場のことを、
果たして、富里市内で暮らす人々はどれだけ知っているのだろうか。
緑豊かな末廣別邸秋深まる時期に期待大



今はまだ、一般公開の状態にないが、
出来る限り最適な環境で公開されるよう、有志の方々が現在手を尽くしている。

かつて竹林に埋もれていた蔵依然として綺麗に保たれた邸宅


「富里は田んぼしかない」と言う市民も多いだろう。
そんな人にこそ知って頂きたい、
この土地がいかに人々を魅了しているか、
この土地がいかに人々に手を入れられ続けているか、
そして、この土地がいかにドラマチックであるか。

それに気付くきっかけが、此処、旧岩崎家末廣別邸であると、私は確信する。
(2015/11/30 文責: A. Yamada)