花見川 について知っていることをぜひ教えてください
 

船橋のツレの家を訪ねると、前から行きたかった花見川の河口に連れて行かれた。彼は自分が船橋の自宅から走るランニングコースの風景の良さを伝えたい気持ちで案内してくれた。花見川にかかる橋の上から見る富士山が美しいのだと。それもとても嬉しかった。ところが、さらに、カーブした堤防を見て、こちらは鳥肌を立てていた。

花見川の河口左岸の防波堤に沿って起きる離岸流に鰯の子どもが必死に逆らい川に向かって泳ぎ、そこに止まっている。「川みたいですよ。コマセ撒いてもすぐに沖にながれてくんです」と釣りをしていたお兄ちゃんが教えてくれる。巧者の爺さん達は、もっと先で細魚を釣っていた。海の色を映したような美しい透明な緑色の魚を次々にあげている。20センチほどの小物。てんぷらにするとうまそうだ。

車を止めて、炊きたてのご飯を持ってきて、卵かけ御飯を食べている人がいた。思わず、笑って感動していると「これ食べてみてください」と千葉の名品らしい赤い卵をくれた。割れないようにダウンジャケットのポケットにいれて、あとで卵かけご飯にしたらうまかった。

ツレがネット検索してくれて、緑の海藻をたべているはオオバンのつがいだと判った。海鵜は何回も潜って魚をとっている。
 

防波堤は、南西に向かって始まり、綺麗にカーブして東南に向かう。

 

江戸時代、江戸の洪水を防ぐために、利根川を東遷して香取海が埋まった。香取海と離れ内陸の湖沼となった印旛沼は土砂で底の浅くなった利根川の水で溢れることになる。東京湾に注ぐ小さな川だった花見川に印旛沼からの水路がつなげ、洪水を防ぐ工事が完成したのは、第二次大戦後だそうだ。実口の谷津から始まる高崎川の水の旅は、印旛沼が増水したときにかぎり、千葉市の美浜にも注いでいるのだそうだ。

 

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以下引用

Wikipedia 印旛沼放水路 cc-by-sa3.0

印旛放水路は、千葉県にある印旛沼の排水を目的として開削された放水路である。西印旛沼からの流出点(八千代市阿宗橋)を上流端とし千葉市美浜区東京湾に注ぐ(およそ19キロメートル)。上流にあたるのが利根川であるため、利根川水系に属する一級河川に指定されている[1]

 

花見川はもともと、現在の花見川区犢橋町など旧千葉郡内を水源として東京湾江戸湾)に注ぐ小さな川に過ぎなかった。江戸時代1724年以降、印旛沼洪水対策と干拓を目的として、同じく千葉市横戸町付近を通り印旛沼へと注ぐ勝田川、高津川等の水系を花見川と結ぶ疏水工事(印旛沼干拓)が幾度となく繰り返された。これらの掘割(疏水)工事は全て失敗に終わった。江戸時代の工事に携わり死亡した人足の共同墓地が、流域の各所に存在する(千葉市花見川区横戸台など)。戦後になり新たな設計で放水路が起工され、1969年に現在の印旛放水路が完成した。