富里小学校の子ども達は元気いっぱい!

体育の時間はもちろん,休み時間や朝練習でも運動することが大好きです。

合唱部の活動にも,意欲的に取り組んでいます。

 

 

富里小学校校歌について

富里小学校を校歌を作曲したのは山中直治氏です。氏については以下に。

作曲家・教師:山中直治(やまなかなおじ) 生没年:明治39年(1906)1月27日~昭和12年(1937)2月13日

千葉県東葛飾郡梅郷村(現在の野田市)出身の作曲家で、童謡「かごめかごめ」を採譜して全国に広めた人物です。北原白秋や野口雨情らと親交があり、31年という短い生涯のうち、200曲以上の曲を残しています。平成5(1993)年、生家から遺品が発見され博物館に寄贈されたことで、彼の業績に光が当たるようになりました。

山中直治氏は大正14(1925)年に千葉県師範学校を卒業後、野田市立中央小学校の教員となり、この頃から作曲活動を開始したと言われています。また、昭和4(1929)年には鉄道省と東京日日新聞が募集した「新鉄道唱歌」に応募して入選を果たし、その3年後には日本コロンビアの専属作曲家として活動を始めました。昭和8(1933)年には初の個人童謡曲集を出版し、これを記念して野田の興風会館で作品発表会を開催するなど、童謡界へと大きな一歩を踏み出しました。その後、船橋尋常高等小学校に転任しますが、転任後も教職と作曲を両立することになります。

直治氏と富里市の関係についは、昭和9年当時富里尋常小学校(現富里小学校)の教員として在職していた市原三郎氏との関係が挙げられます。市原氏もまた校歌の作詞者として著名な方で、千葉県内小学校校歌の作詞は50校に及びます。当時、市原氏と直治氏は親交があり、同じ千葉師範学校の出身であったことから、市原氏の書いた詩をもとに直治氏に作曲を依頼したのでした。

直治氏は生涯で200曲以上の作曲を行ったにもかかわらず、校歌の作曲を行っているのは富里小学校だけであり、とても貴重な作品であるといえます。富里小学校の校歌は昭和9年に制定されていますが、この僅か3年後、31歳という若さで逝去しました。

富里小学校校歌   山中直治氏   市原三郎氏   富里尋常小学校の生徒に囲まれる山中直治氏の

野田市郷土博物館

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