さとバス
麒麟麦酒開源記念碑より 「明治十八年後藤象次郎伯、岩崎弥之助 男、増島六一郎博士、渋澤榮一子、益田孝男、カークウッド、グラバ、ベルツ、カールローデの諸君唱首となって同志を糾合しジャパン・ブリュワリー・コンパ ニーと稱する合資會社を起してスプリング・ヴァレー・ブリュワリーの事業を継承し始めて其醸造する麦酒に麒麟麦酒と命名す」 1885年(明治18年)スプリング・ヴァレー・ブルワリーが売却にでると、居留地は治外法権であるため、日本人による資産取得ができないため、三菱の顧問であったスコットランド人、トーマス・ブレーク・グラバー(Thomas Blake Glover)が奔走。英国法人ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッドとして質、地の利のいい製造販売を受け継ぐことになる。出資者は岩崎彌太郎の弟の岩崎彌之助や渋沢栄一など、財閥を超えた広がりが見られ、ライバルたちも協力関係にあったことがうかがえる。 そして、欧州の動物の絵柄を真似たラベル、商標が通常のなか、架空の動物「麒麟」を採用して、この会社の銘柄として「麒麟麦酒」が歴史に登場する。麒麟麦酒の歴史を伝えるホームページには「三菱の荘田平五郎の発案で東洋の霊獣“麒麟”をラベルに採用して、1888(明治21)年5月に「キリンビール」を発売しました」とある。 http://www.kirinholdings.co.jp/company/history/group/01.html
ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド
ここでは11/15の富里市訪問の当日スケジュールを考えます。 アクセス 行き 東京駅八重洲南口3番乗り場→富里バスターミナル→富里七栄スクエア→ラディソンスクエア 800→910→916→919 集合時刻 JR東京駅八重洲南口(地下ではない)に7時半(暫定) 帰り ラディソン→富里七栄スクエア→富里バスターミナル→東京駅日本橋口 1617→1620→1628→1741 このバスは富里始発ではないので注意というか、そこまででいっぱいだと乗れませんね。 富里バスターミナル 最近できた富里市のインター付近(市の成田市寄り)にあるバスターミナル。市役所から4.5kmくらい。パークアンドライド駐車場があるので地元の方はここまで自動車でアクセスしてから高速バスに乗れる。 成田市との境付近が比較的発展しているので市役所付近との違いを考える必要があるかも。高速道路開通、成田空港開港などで市の中心性が移動したのだろうか。DID(人口集中地区)を調べたら、やはりバスターミナル付近に人口が多いようです。 富里七栄スクエア ロードサイドショップが集積している模様。市役所から2.5kmくらいの場所で、この高速路線バスのバス停の中では最も市役所に近い。 "2O15.11.15.GCL.ACCESS" タグの付いたページ ...
https://ja.localwiki.org/tomi/2015.11.15東京大学ワークショップ報告
Ushimaruにいこう!佐倉経由で
Ushimaruに行こう!銚子経由で
両国界隈の軽便鉄道跡
住野・八街線
「八街飛行場」跡地
印旛沼は龍の躰
国境
国道296号
半日間の富里滞在中、私の印象に強く残ったのは、「富里のひと」だった。富里には美しい田園風景もあるし、品格漂う岩崎別邸もあるし、スイカやにんじんなどの名産品もある。でも、それ以上に魅力的なのは、そういった富里の魅力を伝えていこうとする、謙虚だけれど愛郷心の強い、富里のひとびとだ。 岩崎別邸の復元活動の立役者である富里市役所の林田さんは、別邸復元にかける思いを静かに、けれど熱く語ってくださった。岩崎別邸の地面には林田さんたちが切り倒した竹の切り株が散在しており、その数を見るだけでも相当な労力を費やしたことが容易に想像できる。庭を回りながら、林田さんは荒れ果てた別邸の写真を見せてくださった。そのビフォーアフターはすさまじかった。別邸の周囲の庭には、林田さんを初めとする活動従事者たちの苦労と熱意が現れていた。 富里小学校で別邸や岩崎久彌について教えている松岡先生は、故郷を知る教育を始めたきっかけや現状について、丁寧に教えてくださった。松岡先生が見せてくださった児童の学習ノートには、岩崎久彌や別邸に関する学習の成果がびっしりと書き込まれていた。先生曰く、クラス内でも優秀な生徒のものを持ってきた、とのことだったが、そのような生徒たちの探求心を引き出した先生の情熱や指導力に感心してしまった。 富里市役所の池田さんは、飄々としていて親しみやすい方だった。ヒアリング時に、コミュニティバスの運用方式や今後の交通整備について熱く語っていらしたのが印象的だった。同じく市役所の三浦さんは、寡黙だけれどLocalwikiと市の発展を人一倍願っている、そしてそのために動いている、熱い方。池田さんも三浦さんも、私たちのどんな質問に対しても真剣に、時にユーモアを交えつつ丁寧に答えてくださった。 ヒアリングには富里の農家で作るネットワーク・TNネットワークのお二人も来てくださった。若手農家だとは聞いていたけれど、私より若いのにはショックを受けた。職業人として、地域の活性化や地域ブランドの向上に努めたいと思っている若者がいると知って身が引き締まる思いがした。それに、私より若いのに一児の父!自分の職業や地域に誇りを持つお父さんがいる、そんな富里がうらやましい。 産業まつりでも、私はさまざまな人々に出会った。 富里のにんじんがたくさん入った、「にんじん焼きそば」を作っていた富里農業士会の屋台のおじさん。にんじん焼きそばを買った私に、農業士の仕事や農業士会についてわかりやすく教えてくださった。 富里で採れた野菜を格安で売っていたブースには、野菜の生産者であるおじさんやおばさんが売り子をしていた。このブースでのやり取りは強く印象に残っている。 ブースでは、はやとうり、かぶ、ゆず、白菜などが売られていた。私はかぶを1袋買った。東京のスーパーでは決して買えないような、立派な葉がついた、大きなかぶ。それが4つ入って100円! 「このかぶって、どうしたら一番美味しく食べられますか?」と近くの売り子のおばさんに尋ねると、「あー、かぶは○○さん!」とかぶの生産者の方を連れてくださった。生産者の方は、「味噌汁か、漬物だね」とコメントし、売り子のおばさんと「そうだね~」と顔を見合わせてにこにこ笑っていた(じっさい、味噌汁を作ったら非常に美味しかった)。 その後、生産者の方と売り子の方の2人としばらく話をした。私たちが東京から来たことを告げると「やっぱりね~」と笑顔。売り子の方は「富里は見るところないよ、産業まつりくらいかな」と少しはにかみながら話していた。そして、「わざわざ来たんだから」と焼き芋を分けてくださった。焼きたての焼き芋はアツアツで、なかなか食べることができない。そんな私たちを見かねて、「新鮮だし、よ~く洗ったから皮まで食べれるよ」。アドバイス通り、皮ごと食べてみたら意外に美味しかった。甘さと皮のこんがりした味が相まってスイートポテトのような味。「美味しいです!」と伝えるとにっこり笑ってくれた。生産者の前で野菜を食べる機会はなかなかないし、感謝を伝えられる機会もなかなかない。なんだか貴重な体験ができた気がする。 私が短い富里滞在の中出会った、富里のひとびと。富里市役所の林田さん、池田さん、三浦さん。富里小学校の松岡先生。TNネットワークの農家の方たち。産業まつりに出店していた富里の農家や商店の人々。皆、「富里には見るところがないんだ」「今の富里はだめだ」と言いつつも心の底では富里への愛、自分の職業への熱意で満ちている。この住民の誇りこそが、「富里の見どころ」なのではないか、と私は思った。富里市Localwikiは、これから「富里の見どころ」、人々の魅力を可視化する装置として機能してほしい。
富里で出会ったひとびと
フィルムコミッションと富里市商工会 について知っていることをぜひ教えてください 好評だったドラマ「無痛」は2015の秋、フジテレビ系で放送された。この撮影の舞台となったのが富里市に開業したばかりの成田富里徳洲会病院。最寄駅は京成成田駅、JR成田駅。 きっかけは地元商店がと病院の話し合い 徳洲会は地元にたいして好意的で、地元日吉商店会と病院建設にあたり、おたがいに有益な関係を作りたいと打ち合わせを持っていた。日吉台の人々から声がかかり、富里市商工会の事務局長の西澤譲一さんがこの会議に参加した。「病院が地元の商店街に貢献したい旨、お申し出くださったので、撮影場所として使わせていただくことをおねがいしました。実は病院はドラマや映画の撮影の需要が大きいんです」。西澤さん、前職でフィルムコミッションのノウハウを身につけられている。 一回の撮影で、ドラマのスタッフや俳優などの滞在費用、食費、その他の買い物で、70万円程度の出費があるそうだ。西澤さんは、できるだけ富里市内での宿泊や商店街の飲食店の仕出しを使ってもらえるように計らい、スタッフ一同をもてなす。これが何度も繰り返されるため、地元商店街からは好評価だ。例えばナマステのインド料理のお弁当もスタッフの評判はよかったそうだ。「商店会を通じてお声がけいただいて、20食とか30食とか何回もお弁当作らせていただきました。プロダクションから直接たくさんご発注いただくようなこともあるんですよ」と喜んでいた。 富里でフィルコミッションの定着 西澤さんの働きぶりは「撮影のあるときは、必ず現地でもてなしている。あれだけ情熱をもって迎え入れるからうまくいくんだと思う」という関係者の声で容易に想像できる。制作側は、制作に集中したいため、お弁当や宿泊の抑えなど、必要な情報やつなぎをしてれるかたがいるとありがたい。横のつながりもあるので「富里で撮影すると西澤さんがいるからトラブルがおきないぜ」と業界に評判が立ってゆく。いま、徳洲会成田富里病院は撮影の申し込みが絶えないロケの人気ちとなって、すでに5本をこえる撮影が行われている。 富里市内に県から管理を移管された農林業センターがある。ここも古い鉄筋の建物と林道の風景がウケて「人里離れた精神科の病棟」として、富里の美しい森とともに撮影現場となった。「電線などの人工物の映らない谷津田と森の風景など、時代物に合う場所もあるんです」とどんな撮影にどんな風景や建物が合うのか、西澤さんの頭なの中には、富里の風景が刻まれている。制作側と持てなす地元商工会。地元を大切に思う商工会の職員が現場同士を丁寧に繋いでいた。 フィルムコミッションがすぐに観光振興に結びつくわけではないけれども、地道に繰り返すことで観光振興の重要な要素のなってゆくという。そろそろ日吉台の飲食店マップが多言語で出来上がるという。 『無痛〜診える眼〜』(むつう みえるめ)のタイトルで、2015年10月7日から12月16日まで毎週水曜日22:00 - 22:54に、フジテレビ系の「水曜10時」枠で放送された。小説を原作に、医療ドラマと刑事ドラマの要素を兼ね備えたオリジナルストーリーとなっている。主演は西島秀俊。cc-by-sa Wikipedia
フィルムコミッションと富里市商工会
市役所からラディソンホテルへ
新川
日吉倉のお話 について知っていることをぜひ教えてください 日吉倉のお話 日吉倉の概要 日吉倉地区は富里市の北端に位置し、成田市に突き出したような形状を呈する。集落は台地上とそれを取り巻く襞状の谷津の縁に展開しており、東側には根木名川が流れる。 日吉倉という地名の最も古い記録は、円勝寺太子堂解体工事の際、厨子の天井板に確認された「下総国印旛郡印東庄日吉倉(中略)天和2年(1682)」の銘であると考えられるが、それ以前に遡る可能性も否定できない。また、円勝寺太子堂には聖徳太子二歳南無仏立像が残されており、建築業を生業とする人々から往時と代わらぬ篤い信仰を受けている。 文字記録以前の歴史では、富里市唯一である烏山古墳群の存在は見逃せない。現在は日吉台地区に編入されているものの、村の鎮守であった熊野神社境内には現在でも5基の円墳が残されている。 日吉台ニュータウン造成に先立って実施された円墳2基の発掘調査では、甲冑と畿内産須恵器が出土しており、この地に有力な豪族が居を構えていたことを物語っている。また、中世段階に入ると、地方豪族の中から台頭した武士が東台に居を構えたであろうことが、「ユウゲヤマ」などに代表される数々の小字名からも推察される。 明治22年町村制に関する訓令に基づいて大規模な町村合併が実施された時、富里は十三の村が合併して誕生した。この時、日吉倉村は成田町に合併することを考えていたが、富里村誕生には日吉倉村の存在が必要不可欠であった。その後、昭和7年に論田、中広、刈分、大田、橇田、申新田、向山の字区のみが成田町に合併するところとなり、その大字名を不動ケ岡と称した。明治、大正、昭和と長きに渡った分村問題は、昭和32年12月の村議会などによる決議書により決着をみている。 日吉倉は、日常生活や教育面において成田市との緊密な関係が保たれて来た地区であるが、現在でも生活面では成田市に依存しているところが大きい。
日吉倉のお話
木戸川
本城台(AMB)線
根木名川