早稲田大学 第二校歌「人生劇場」 について知っていることをぜひ教えてください

早稲田大学校歌といえば相馬御風作詞の「都の西北」で始まる校歌が有名ですが、「人生劇場」は早稲田人の心意気を示すコンパにはつきものの青春賛歌です。

 

 

第二校歌 「人生劇場」 佐藤惣之助 作詞 古賀政男 作曲

 

 

一 早稲田の杜が芽生く頃、花の香りは沈丁花(ちんちょうげ)、人生意気に感じたら、ビクともするなと銅像が、ビクともせずに風に立つ。崩れかかった築山は、江戸の昔の高田富士、町を見下ろすてっぺんで、意気に感じた若者が、夕陽に向かって吼えていた。春と一緒に青春の、波がどんどん押し寄せて、男(おのこ)ばかりか女(おみな)まで、杜の宴(うたげ)に酔いしれる。逢うは別離(わかれ)の始めとか、さよならだけが人生さ、ああ人生のローマンス。
 昨日も聞いた今日も見た、早稲田の杜に青成瓢吉の出るという。御存知尾崎士郎原作「人生劇場」の一節より。
 ああ歓楽は女の命にして、虚栄は女の真情であります。わずか七日ばかりの享楽を得んがため、哀れはかなくも美しき乙女の貞操は犠牲に供せられたのであります。覆水盆に帰らずのたとえあるが如く、親をいつわりし罪、いと深きかな。ああ哀れメリーさんよ、チンタッター、チンタッタ。

やると思えば どこまでやるさ それが男の 魂じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ なまじとめるな 夜の雨

二 君見ずや荒川土手の緑、さらに緑なるその中に、一点の紅を点ずる者あり、その名をお袖という。月よし酒よしお袖さらによし。深窓の令嬢に恋するを真(まこと)の恋と誰がいう。泣いて笑ってこびを売る月下の酒場の女にも水蓮の如き純情あり。そのとき、かの熱血漢新海一八はこうつぶやいたのであります。
 我が胸の燃ゆる想いに比ぶれば煙は薄し桜島山。

あんな女に 未練はないが なぜか涙が 流れてならぬ
男ごころは 男でなけりゃ わかるものかと あきらめた

三 時は大正の中頃、夕暮れのいと寂しき処、三州横須賀村、印ばん天にもじりの外套草鞋(わらじ)に乗せたる身もいと軽く、帰り来たりしは音にも聞こえし吉良常なり。

時世時節は 変わろとままよ 吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように 義理と人情の この世界

四 ああ夢の世や夢の世や、今は三歳のその昔、いとなつかしき父母や、十有余年がその間、朝な夕なに眺めたる、春は花咲き、夏茂り、秋はもみじの錦衣(き)ぬ、冬は雪降る故郷の、生まれは正しき郷士にて、一人男子(おのこ)と生まれたる、宿世の恋のはかなさか、はたまた運命の悪戯(いたずら)か、浮き立つ雲にさそわれて一人旅立つ東京の、学びの庭は、早稲田なり。

端役者の 俺ではあるが 早稲田に学んで 波風受けて
行くぞ男の この花道を 人生劇場 いざ序幕

五 お袖も大学も、今となってはやめるもよし、やめざるもよし。今夜は今夜、明日は明日。壮士ひとたび去りてまた還らず。飄々乎たる青成瓢吉は、いまやあたかも人生に舞い落ちる一辺んの木の葉にも似た落ち武者となりはてぬ。
 だが、過ぎ去りし日々は楽しく、来る日もまた楽し。今日もまた飲み疲れた瓢吉は、ひとり満天の星空を仰ぎながら、その心境を月に向かってこう嘯(うそぶ)くのであった。
 気の毒だが貴様たちにゃどうしたって奪(と)りきれぬ佳(い)いものを、俺ゃあの世に持って行くのだ。ほかでもない、そりゃ、ワセダの心意気だ。
 
早稲田なりゃこそ 一目でわかる 辛い浮き世も 楽しく生きる
馬鹿な奴だと 笑わば笑え 他人(ひと)にゃ言えない 心意気

cf. 口上、歌詞四番作者不明。五番口上は奥島孝康作。

 

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