文化財(名称) 東根の大ケヤキ

東根の大ケヤキ

 

指定:国指定特別天然記念物

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種別:特別天然記念物

指定年月日: 昭和32(1957)年9月11日

所在地:東根市本丸南1の1の1 (東根市立東根小学校昇降口前)

所有者: 東根市

 

来歴:

伝承では、正平年間初期(1346~56)、小田嶋長義築城の時植栽したどいう。『正保城絵図』(正保2 (1645)年)への記載はなく、天保3 (1832)年の町屋

絵図には、「父視(ヂヂヅキ)母親(パバヅキ)」どして記載されて』喝。安政年間初期( 1854~57)につくられた『松前落東根陣屋絵図』(本丸周辺)には、25本の

大樹が描かれ、そのうちの2木が父親ピ母親である。明治15(1882)年、父視が枯れ、同18(1885)年に伐採され、旧家の門やその扉に転用された。大正15(1926)年10月、

国の天然記念物に指定された。昭和32(1957)年9月、国指定特別天然記念物どなる。

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(所見)・(特色):主幹は、地上5.5mの高さでふた股に分かれ、相生の形を成すも相生ではない。目通リ(地上1.3m)で16.48m (平成6年9月東根百草会計測)、最大直径5.0mを計る。樹幹に空洞がなければ世界ーである。

平成元年( 1988)年5月に発表された『日本欅見立番付』には、“東の横綱”に位置付けられ、文字通リ日本一の大ケヤキと評された。また、平成6年9月、我が国の樹木医第一号・山野忠彦は、大ケヤキをなめ廻しながら1周し、「こんな立派な巨樹を初めて見た。わが国最大の巨樹だ。もしかすると、屋久島の縄文杉より古い。

8500年から8800年の樹齢はある。」と話された。

昭和46年7月から東根小学校の解体が始まる。同50年3月現校舎完成する。そのどき、大ケヤキ周辺に盛土がなされ、最大で1.2m高くなる。そのためか、昭和60年頃から樹勢が衰え出し、同63年には落葉がはなはだしく、消防車で放水を1週間くリかえし、ようやくにして樹勢を取リ戻した。

また、平成12年にも落葉があり、龍興寺沼公園造成で沼の水を約2年間抜いたことが原因とされた。羽央文化 大ケヤキ.pdfキャプションを追加

 

出典:Uou bunka No. 1 Date : H27. 11. 3

「羽央文化」とは:普光寺焚鐘銘文「小田嶋荘、羽州中央、東根到境、白津之郷……」の「羽州中央」から略称引用

 

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