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青い目の人形は1927年アメリカの子どもたちから日本の子供たちへ日米の親善の意味を込めて贈られた。

当時日本では関東大震災や国内不況、治安維持法制定によって厳しい生活が続いていた。一方でアメリカでは経済不況による失業者がおり低賃金であるが働いている日本人労働者に対しての不満やヘイトが向けられていた。そんな中で両国民の文化的な部分での相互理解が足りないと考えたのがアメリカの牧師シドニールイスギューリック博士であった。アメリカから日本に向けて贈られた12000体以上の青い目の人形は横浜港と神戸港にそれぞれ到着し、その後歓迎式典が行われるなどして日本人に受け入れられた。また、その受け入れには渋沢栄一が関わっていたされている。しかし、太平洋戦争が始まるとアメリカが敵国だったのでその敵国から贈られた人形は壊されたりした。現在ある人形は数少ないが、人形が壊されないように隠し保護されている人形もあるため実際はよくわからないという。