旭町(あさひちょう)は、寛永(かんえい)年間(1624~1644)の江戸図によると、能楽師幸若太夫(こうわかだゆう)と、出羽(でわ)秋田藩の藩主佐竹義宣(さたけよしのぶ)の屋敷地でした。 

 その後、天和(てんな)二年(1682)暮れの大火により、焼け野原となった佐竹藩邸は翌年、下谷三味線堀(したやしゃみせんぼり)に移りました。跡地は、新開地とあわせて町人地となり、永富町(ながとみちょう)二~四丁目、新革屋町代地(しんかわやちょうだいち)、元乗物町代地(もとのりものちょうだいち)の一部となりました。明治二年(1869)、これらの地域は「旭町」と改名されました。

 

千代田区町名由来ガイド・旭町より

http://goo.gl/maps/rvySf (佐竹稲荷前)