藤沢御殿は慶長元年(1596年)、徳川家康が上洛の際に使用する目的で築かれた宿泊施設で、家康を含め二代将軍秀忠・三代将軍家光が利用したことが記録から知られています。しかし家光以降の将軍が上洛しなくなると、この施設は利用されなくなり五代将軍綱吉の時代には廃絶したと考えられています。

 

元禄十一年(1698年)に作成された『藤沢御殿跡絵図』をみると、御殿の規模は東西106間(約193m)、南北62間(約113m) で水を張った堀に囲まれ、土塁が廻らされていたことが分かります。塀や土塁は江戸時代後期まで残っていました。

 

※マップは、藤沢御殿跡の推定範囲です。

 


御殿が廃絶した理由としては、綱吉将軍の時代には財政が逼迫していたので維持ができなくなったことも考えられる。