ここでは、吉向萬三郎 について紹介します。

【ガイドポイント】

①.吉向焼(きっこうやき)は、江戸時代に大阪の十三で始まった。

②.5代目萬三郎は55歳の時(明治44年)、京阪電車社長の誘いを入れ、枚方市岡山手に窯を映した。

③.今の枚方公園~御殿山にまたがる大規模な茶会を計画、スケールの大きさに新聞が記事にしたそうです

【概要説明】

①.広報ひらかた 2015年01月号より

 吉向焼(きっこうやき)は、大阪で唯一つ残る伝統的な焼物です。

 今から210年前の江戸時代に十三で始まり、初代松月(しょうげつ)は11代将軍徳川家斉(いえなり)に茶道具の一つである和菓子を入れる「食籠(じきろう)」を献上しました、代々の名品は東京国立博物館などに所蔵されています。

 明治44年、五代目の萬三郎(まんさぶろう)「五世松月(ごせいしょうげつ)」は、51歳の時、開通したばかりの京阪電車の社長の誘いもあって、窯を大阪から美しい自然に囲まれた岡山手に移しました。

 洒落気があった萬三郎さんは、画家や落語家など大阪の文化人が集う「達磨会」のメンバーとして、今の枚方公園~御殿山にまたがる大規模な茶会を計画、スケールの大きさに新聞が記事にしたそうです。

 また、枚方との関わりを大切にしていて、江戸時代の庶民の器「くらわんか茶碗」の復元に取り組んだり、ひらパーの前身、枚方遊園に絵付け体験のできる店を出したりしてました。

 吉向焼は広く親しまれ、昭和54年までの約70年間枚方で営まれていました。現在は、交野市の私市に窯を移し、9代目が伝統を受け継いでおられます。

参考資料:吉向焼の歴史