ここでは、香里団地のあれこれ について紹介します。
在所:香里ケ丘
【ポイント】
①.この地の地理的条件から火薬製造工場の建設にその歴史が始まる。
・大阪工廠に近く、宇治製造所との中間。
・周りを壁のように囲まれた谷間である。・・・爆発事故の影響の軽減とカモフラージュできる雑木林
・淀川に近く船運も利用できる。
以上のことから枚方丘陵(意賀美神社~さだ神社につながる丘陵)と香里丘陵(藤田遺跡~茄子作遺跡につながる丘陵)に挟まれた雑木林の谷間が選定された。
昭和14年(1939) 宇治火薬製造所香里工場として操業開始。
昭和17年(1942) 東京第二陸軍造兵廠香里製造所として独立。
昭和20年(1945) 終戦により香里製造所操業停止。
②.第二次世界大戦後、マンモス団地としていまれ変わる。
朝鮮戦争勃発によって昭和27年(1952)火薬製造工場復活を目指し国内3社から香里製造所の払い下げ申請が提出される。
地元で大反対運動が発生し、3社共に申請を取り下げる。
その後、土地区画整理法に基づき住宅公団がニュータウン建設を始め、昭和33年(1958)から入居が開始された。
同時期に、八千代台団地(千葉県八千代市、1957年)上野台団地、霞ヶ丘団地(以上埼玉県ふじみ野市、1959年)、松原団地(埼玉県草加市、1963年)、男山団地(京都府八幡市、1971年)、高島平団地(東京都板橋区、1972年)なども建設され、団地族の用語も生まれた。
③.香里地区に残された戦争遺跡
・第3汽缶場煙突(妙見山配水場内)
・旧仕上室(こもれび生活館)
・旧収函室(香里ケ丘診療所)
・陸軍用地の標石(観音山公園、桜公園)
④.平和宣言
・平和の誓い(妙見山配水場入口)
・非戦の誓い(末広公園内)
⑤.新たに作られた名所
・枚方八景(香里団地の並木;けやき通り、いちょう通りなど)
・以楽苑(重森三玲設計の日本庭園)
・観音山公園(中山観音寺跡、牽牛石)
・こもれび水路(水環境創造事業として整備;平成5年完了)
【補足説明】
【参考情報】
Wikipedia:香里団地