2015.11.03編集会議にて
橋本橋は天正18年(1590年)に紀の川の増水により流失したため、舟による横渡が行われるようになった。
この東家渡場大常夜燈籠が建てられたのは文化11年(1814年)で、長く「無銭横渡」の渡場を伝えてきた。
もともと同型の燈籠2基が相対して建てられていたが、うち、1基は紀の川の洪水により流失した。
対岸である南岸にある三軒茶屋大常夜燈籠は、現在も2基存在する。現在も、紀の川北岸渡場に鎮座している。
台座四面の銘文によると阿波国藍商人の連中をはじめ、京都・難波、堺の商人および和歌山の川舟仲間ほか多人数の講社、信者の浄財によって建てられたもので、
かつての紀の川渡場の賑わいを今に伝えている。