明十社(めいじゅうしゃ)は、長野県上伊那郡高遠町にあった製糸工場。

高遠町における製糸工場は、明治6年小野寺正典が番匠町に60人取りの水車製糸器械を建築したのが始まりである。

その後、明治8年に藤沢に「伊那館」が創立されたのに続き、明治10年(1877年)に小松清五郎などによって旭町に設立された。

この年の出荷伝票によると生糸16梱半(1梱は56斤2分)を輸出している。

明治23年6月当時の農商務相である谷干城も、同社の視察に来高する程で、上伊那製糸工場の王者を占めていた。

また、明十社は糸取釜の開発を行なっており、半月型の製糸釜を開発し丸千(○の中に千)組製陶工場に依頼し制作を行ない、全国的に販売を行なった。


会社概要

資本金 7千5百円(明治16年当時) → 1万9千円(明治18年)

職工数 120名(明治16年当時)

 


出典

* 高遠町誌編纂委員会『高遠町誌 下巻』ぎょうせい、1979年

* 「高遠のあゆみ」編集委員会『高遠のあゆみ』高遠町・高遠町教育委員会、1996年

中村文彦『高遠こぼれ話』しんこう社、2004年