昭和46年(1971)当時の岩槻人形連合協会は十月十五日を「人形の日」と決め、埼玉百年を記念して、岩槻城の一角に人形塚と人形の碑を建立しました。人形塚は、郷土の日本画家、関根将雄画伯のデザインによりもので、製作に当たっては、地元の若き人形職人等の熱き協力がありました。

男雛、女雛が仲むつまじく寄りそった姿は「人」を形象し世界の平和と郷土岩槻の限りなき発展を願っております。当地の人形作りの起源は、江戸時代のはじめ日光東照宮造営の頃(1630年)とされています。

その後幾とせ、人形作りに心血を注ぎ、いそしんだ先輩父祖の霊を慰め、また多くの人形師が心をこめて作り上げかつ人々に愛された人形達の冥福を祈り、この人形塚はつくられました。