三谷幸喜らしきおっさんここで腕を組んで立ってた

中川旅館のご主人が街を案内してくださった。九度山郵便局の角を曲がるとタモリが好きなクランク(枡型道路)が有り左に曲がり右に曲がると


彼の視線の先には金剛山がある。

槍を持って入られないように仕組まれた道の奥には偉い人が住んでいるという。
ここは、昌幸が住んでいた区画だそうだ。天守閣に相当する高さだ。1600年の関ヶ原の戦いの後11年間望郷の思いを抱いてこの丘から上田(真田郷)を偲んでいたのだろう。シドニー湾で英国を偲ぶオーストラリア元総督の妻ミセスマッコーリーのように....。亡くなったのは1611年6月4日

と云われる。時に京都で豊臣秀頼と会った家康は若武者となった秀頼に脅威を感じる年齢に達していた。そこで彼を導く豊臣家の重臣真田昌幸や加藤清正の存在が目の上のたんこぶと思われた。そこで二人が共に相続き消えたのは...........。病気ではなかったのではないかしら。暗殺。