学校法人海星学院 海星学院高等学校

「受験勉強より大事なことはありますよ。もちろん受験指導も対応します。でも、世の中と関わってやりたいことをやってもらうのが大 事です。中学生に受験案内をするときも、君たち、自分が、お父さん、お母さんになったときに、子どもに、勉強だけしてたっていうのつまんないよねって言っちゃうんですよねえ」

と関西のようなイントネーションで楽しそうに話す山根洋さん。「島根の山根です」と笑いをとる島根県出身。海星学院高等学校の国際理解教育、進路指導、入試広報を担当されている。

「教員が用意してあげられる環境なんて、ほんの少しなんです。学校の外のお力をお借りしないとなんにもできません」

生徒の本来持っている希望や能力を引き出す環境を室蘭の人々と一緒に作ろうとして来られたのがよくわかる。

 


「う ちの子たちノリがよくてですね、小学生に英語を教えるボランティアを10人募集したら、40人来ちゃったんですよ。外国の客船が来た時にお店を出したんです が、50人募集したら100人来ちゃうとか。なんでもどんどんやってくれるんですよ」と困ったふりして生徒の自慢をする先生。

彼がこの 学校に出会ったのは、故郷の島根で塾講師をしていたとき、自分も大学に行くまで外国人と話したことがなかった経験から、国際体験をさせてあげてたくて、限界をしりながらも活動を起こしていた。学校教育が担わないと無理なことがあるという思いは持っていた。そんなおり、海星学院の当時の理事長から、生徒が激減していた海星の立て直しに国際教育を柱にしたい旨「すぐに来て欲 しい」と連絡を受ける。島根のこと、北海道のこと、家族のことを考えて躊躇していると、理事長は彼の許へやって来て頭を下げたという。

 

「そのご恩には応えなくてはならないと思いました」

戦後、一定の時間がたって、室蘭の製鉄所がその勢いを増すころ、働く人たちの家計や家庭環境は決して明るいことだけじゃなかった。高度経済成長を先取りした労働強化のなか、三交代ではたらく人々は近代の人々が抱えることになる健康や心、経済に様々な問題を抱えた。修道士やシスターたちは室蘭の人々に心をよ せ、悩みを訊き続ける活動をしていたという。当時の市長の故熊谷綾雄さんから、とくに「女子の教育環境を整えて欲しい」と要請され聖ベネディクト修道会の シスターたちがこの学校を創ったという。(1961年:学校法人聖ベネディクト女子学園を設立)

室蘭の街を支える女性たちを多く輩出し、いま、男女共学の海星学院となり、新たにまた室蘭を支える人材を輩出している。

 

 

二日後、山根さんからのたよりは「生徒の募集始めました」