安珍清姫伝説は、「法華験記」という古い文書に記された紀伊地方の物語で、能や人形浄瑠璃、歌舞伎にもなっている有名なお話です。

「参拝の途中のお坊さんの安珍に、清姫という人が恋をします。彼女を断りきれなかった安珍は、「また会いに来る」と約束してしまいます。清姫は待ち続けましたが、約束を裏切られたと知ると大蛇となって追いかけ、道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺して自分は入水自殺する、という壮絶なストーリーです。しかしこの伝説は、伝わった地域や、舞台芸術によって微妙な違いがあります。舞台となった道成寺、清姫のふるさとであるなかへち町の観光協会、能、歌舞伎、人形浄瑠璃のHPをそれぞれ調べ、なぜ解釈に差が生まれたのか考えました。

まず簡単にその地域ごとの伝説の違いを説明します。

 

道成寺に伝わる話は「法華験記」とほぼ同じです。

 

それに比べてなかへち町はまったく違います。

純粋で、男性のあこがれの的だった清姫は、安珍に想いを寄せていましたが、裏切られてしまいます。深く傷ついた清姫は大蛇に姿を変えてまで鐘の中の安珍を追ったのだという話です。清姫の悲劇のヒロインっぽさを強調したストーリーです。

  能のお話の舞台は清姫伝説の後の時代です。それに出てくる清姫は、いい感じの仲だった山伏に「裏切られた」と思い込み、毒蛇になって、恨みの炎で鐘ごと焼き殺す執念深い女として書かれています。最初に言った法華験記に近い解釈です。

 歌舞伎のお話も後の時代が舞台です。この中の清姫は「恋人安珍を追いかけ、恋しさのあまり大蛇と化して鐘を焼き滅ぼした」ことになっています。安珍に恨みがあるというよりは、自分と安珍の仲を引き裂いた釣鐘に恨みがあるようです。

最後に阿波人形浄瑠璃ですが、これは少し事情が複雑です。

いろいろあって安珍に姿を変えて身を隠していた桜木親皇は、もともと安珍のことが好きだった清姫に本物の安珍だと思いこまれて慕われます。しかし桜木親皇には恋人がいて、その人と2人で道成寺に行った時、それを見て嫉妬で逆上した清姫が蛇となって2人を殺してしまいます。

これらの話を、安珍派と清姫派に分けてみました。

なかへち町は完全清姫目線で、安珍をより悪者っぽくしています。これは、なかへち町が清姫の地元であったためと思われます。なかへち町は清姫にまつわるたくさんの遺跡があり、毎年7月には清姫まつりという清姫メインの祭りが開催されています。

道成寺は、経緯はどうであれ結果的に、どの話の中でも安珍をかばう側の土地です。なので安珍目線で見た話が伝承されているのだと思います。

また、法華験記をベースに、一途な女性の恐ろしくも美しい恋を表現しようとしたのが清姫派、執念深さやおぞましさを表現しようとしたのが安珍派なのだと思います。これらのことから、安珍清姫伝説の解釈の違いは「地域と人物の関係や、表現したいものの違い」から生まれたことが分かりました。