江戸時代の中期1715年(正徳5年)~1738年(元文3年)の間、地蔵菩薩を厚く信仰した上野寛永寺崇徳院宮法親王(うえのかんえいじすうとくいんのみやほうしんのう)が在住していた折、自ら地蔵尊像を描いたと伝えられています。そしてここにあるのはその地蔵尊像を書き写したものの1つではないかと言われている。

佃天台子育地蔵尊 について知っていることをぜひ教えてください