江戸時代のこの界隈(かいわい)は、武家屋敷が立ち並ぶ地域で、幕末のころには一帯が豊前小倉(ぶぜんこくら)藩小笠原(おがさわら)家の中屋敷(なかやしき)となっていました。 

 神田亀住町(かんだかめずみちょう)は、もともと神田川の北岸に江戸時代からあった、神田六軒町(かんだろっけんちょう)、柳原大門町(やなぎはらだいもんちょう)、神田八軒町(かんだはっけんちょう)、上野町代地(うえのちょうだいち)が、明治二年(1869)に合併してできた町です。その名前は、末永く生活できる場であってほしいという願いを込めて名付けられたといいます。