江戸時代初期の慶長(けいちょう)八年(1603)、幕府は江戸の町割(区画整理)を実施しました。このとき、新たに誕生した町の一つが鍛冶町(かじちょう)です。新しい町名は、すぐに江戸っ子の間でも定着したようで、明暦(めいれき)三年(1657)の『新添江戸之図(しんてんえどのず)』や『寛文新板江戸絵図(かんぶんしんばんえどえず)』でも「かち町」、あるいは「かぢ丁」という町名が見受けられます。