皇居外苑(がいえん)南東端にある外桜田門(そとさくらだもん)から港区虎(とら)ノ門(もん)に至る桜田通りにかけての一帯は、霞(かすみ)が関(せき)(昭和四十二年〈1967〉に霞ヶ関から改称)といいます。江戸城を守る外郭門(がいかくもん)のひとつであった虎御門(とらのごもん)は、江戸時代初期までは遠浅の海(日比谷入江(ひびやいりえ))に面していました。 

 霞ヶ関の名前は古代までさかのぼり、日本武尊(やまとたけるのみこと)が蝦夷(えみし)の襲撃に備えて、武蔵国(むさしのくに)に置いた関所(せきしょ)「霞ヶ関」から名付けられたといいます。その名前は関所から雲霞(うんか)を隔てた遠方を望むことができるということに由来し、江戸時代の地図にはすでに、「霞ヶ関」と記したものもあります。