ここでは、東見附跡 について紹介します。

在所:新町一丁目6-27・・・天野川堤防付近

【ポイント】

①.東見附は、天野川に接する東海道56次枚方宿の東端で「河内名所図会」によると

 ・見附入口正面に三本松;宿場内が見通せない仕組み。

 ・天野川には、長さ17間、幅3間1尺の板橋

 ・紀州徳川家は、参勤交代の際は、上流に仮橋を仮設

 ・宿役人は、ここで大名行列の見送りをした。

②.枚方宿の概要

 ・枚方宿は、西見附まで約1.5キロ

 ・53次:大津、54次:伏見、55次:淀、56次:枚方、57次:守口

 ・天保14年(1843)の枚方宿の規模 家378軒、人口1,549人、宿69軒

 ・枚方宿は、淀藩永井家支配(1644~1647) から幕府直轄地(天領)となる。

 ・代官・道中奉行の支配下で、枚方宿は 4(岡新町、岡、三矢、泥町)村で運営

 ・隣の小公園は、国の補助を受け、平成19年3月に整備

【関連写真】

 東見附全景2013_03_13 金只  東見附案内板2013_03_13 金只  

 東見附案内板(河内名所図会)2013_03_13 金只  東見附小公園2013_03_13 金只  

【補足説明】

①.現地観光案内板より

 東見附は、天野川に接する枚方宿の東端で、道の両側に柵で囲われた松が植えられていました。「河内名所図会」享和元年(1801)には、淀・伏見方向に向う大名行列が天野川の橋に差しかかり、見送りに出た役人が待ち受ける光景が描かれています。

 元文2年(1737)の「岡新町村明細帳」によると、天野川には、長さ17間、幅3間1尺の板橋が架かっていて、岡・岡新町両村が共同管理していましたが、修理・架替の費用は幕府が負担していました。

 紀州徳川家は、参勤交代の際枚方宿に宿泊しましたが、天野川の渡河にあたっては、既設の橋の上流に専用の仮橋を設けさせました。     枚方市