ここでは、モニュメント展示(くらわんか舟) について紹介します。

在所:淀川資料館の裏

【ポイント】

①.枚方港で煮物販売に使用された小舟

②.堤防上のモニュメントは、2017_08_25 撤去確認(金只)

【関連写真】

 淀川堤防上のくらわんか舟モニュメント2013_01_12 金只​   水と歴史のふれあい広場のくらわんか船2013_01_23 金只
 

【補足説明】

①.2015年03月01日産経新聞 福島俊夫氏の資料より

 堤の上から左手に、アーチ状の枚方大橋がのぞめた。対岸は高槻市、つまり摂津国である。国境に流れる川は古来、利権争いの場となる。

 このあたりでも、利権争いが起きた。漁業権でなく商売権である。江戸期、京や大阪からやってきた三十石舟は、この付近で一服した、当然、軽く一杯やりながら、メシでも喰いたくなる。

 その船客のために、当初は、高槻側からモノ売りの小舟が押しかけた。これを見た枚方側でも小舟を出すようになり、高槻側と再三、争議を起こした。

 だが枚方側がじょじょに有利になった。京街道沿いの宿場町であったこともあるが、かけ声の威勢がよかったからである。

 「くらわんか、くらわんか」と船客に迫った。「くらわんか」は河内弁で「食わないか」という意味である。いかにも乱暴だが、いつのころか、名物となってしまった。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも、こう書かれている。

 「ひらかたといへる所ちかくなりたると見へ、商い船、こゝにこぎよせ、「めしくらわんかい、酒のまんかい」とふねにつけてえんりょうなくとまひきひろげ、わめきたつる」一部略

 つづいて、「がさつにいふを、めいぶつとすること、人のしる所となり」

 飲食だけでなく、小間物や絵草紙なども売りつけた。そのときは、「小間物、買いさらせ」とどなった。

 船客もさぞ耳ざわりあったはずである。                         福島敏雄

 ※ 1615年の夏の陣で徳川方に協力した報奨として、兵量輸送地であった高槻市桂本に、徳川幕府から商い船の特権が付与されました。その桂本の淀川堤防上には、くらわんか舟発祥の地としての碑が建てられています。

【参考情報】

Wikipedia:くらわんか舟