ここでは、伝秦河勝の墓 について紹介します。

在所:川勝町2-22

【ポイント】

①.寝屋川市指定史跡

【関連写真】

 寝屋川右岸からの入口標識2023_05_23 金只   伝秦河勝墓の全景2023_05_23 金只   

 標柱(伝秦河勝の墓)2023_05_23 金只    伝秦河勝の墓石2023_05_23 金只   

 

【補足説明】

①.現地案内板より

 寝屋川市指定史跡 伝・秦河勝の墓

 4世紀から5世紀にかけて大陸から多くのひとびとがわが国に渡来した。秦氏の祖とされる弓月君(ユヅキノキミ)もそのひとりで、養蚕・機織の技術を伝えたといわれています。

 秦河勝は秦氏の長で、聖徳太子を補佐して6~7世紀に活躍し、太子から仏像を授かり京都太秦(ウズマサ)に蜂岡寺(広隆寺)を建立したことでも有名な人物です。

 この地には「秦河勝の墓」として、高さ2.4mの五輪塔が残されています。五輪塔の地輪の四面には、秦河勝の事跡や五輪塔建立の経過などが4百余字で刻まれています。碑文によると、以前には豪壮な五輪の石塔がありましたが、豊臣秀吉の命により淀川左岸に文禄提を築いた際に持ち去ったため、現存する五輪塔は慶安2年(1649)に再建されたものであることがわかります。

 市内にある秦・太秦の地名も秦氏に由来すると考えられ、平安時代に編纂された『和名類聚抄(ワミョウリュイジュウショウ』にも茨田郡八郷の一つとして記されています。

 五輪塔の前面には一対の石灯籠が建てられているほか、五輪塔の北東には「正六位上兼右近衛不生秦武文」と刻まれた柱状の石塔も建っています。

    寝屋川市

【参考情報】

インターネット:秦河勝

Wikipedia:秦氏