ここでは、倉敷紡績枚方工場跡地 について紹介します。
在所:新町二丁目
【ポイント】
①.南場氏ガイド資料より
大正時代に日本メリヤスが操業、のち倉敷紡績が買収倉紡枚方工場として戦後昭和50年ごろまで操業。
※ 倉敷紡績㈱の社歴によると枚方工場は大正13年(1924)~平成8年(1996)の間操業。
②.この地には以下の施設があり、枚方市の医療・文化ゾーンと位置付けられている。
・関空空港へのリムジンバスの発着停留所・・・2020年07月新文化センター建設で仮停車場
・市中央図書館駅前サテライト・・・2020年07月現在空部屋
・駐車場・・・2020年07月新文化会館建設で閉鎖中
・関西医大学付属病院、救急救命センター・・・病床700、06年1月開院
・同病院付属看護学校・・・2020年07月建設中
【関連写真】
岡本町ふるさと絵図から複写2016_08_02 金只
軍需施設と工場進出・・・ 枚方「このまちアーカイブ」より
【補足説明】
①.インターネット情報;軍需施設と工場進出
明治時代に陸軍の禁野火薬庫が置かれ、昭和に入り大阪工廠の枚方製造所、東京第二陸軍造兵廠香里製造所が枚方に設けられた。一方、民間企業の日本メリヤスや蝶矢も枚方に進出してきた。
大正09年(1939)枚方町の誘致で日本メリヤスが進出。大正の大不況で工場は2年で閉鎖。
大正13年(1924) 3月に日本メリヤス枚方工場130万円倉敷紡績に売却。
同年 5月31日から操業を開始。
平成08年(1996)閉鎖。関西医大に賃貸。
平成22年(2010)関西医大に35.54億円で売却。