ここでは、友呂岐神社 について紹介します。

在所:香里本通町19-13

【ポイント】

①.祭神:誉田別尊(ホンダワケノミコト);厄除け・安産の八幡様)

     菅原道真公;(学問の守・悪例退散の天神様)

     茨田連衫子(マンダムラジコロモコ);(土木建築の神様・産業の守護神)

     倉稲魂神(ウカノミタマノカミ);(摂社成願稲荷社)

②.社歴

 ・康正2年(1456)後土門天皇がこの地に鎮護神として八幡宮を祀り北に南無阿弥堂の伽藍を建設したのが始まり。

 ・その後、度々の戦禍に見舞われたが、寛永年間、元禄初期に修築され、昭和49年に改築され現在に至る。

 ・明治43年、元若山神社(三井神社)、元二本松神社(田井神社)、元太間神社が元の八幡神社に統合され友呂岐神社と改称し現在に至る。

 ・元太間神社は、仁徳天皇11年(383)淀川左岸太間地区の茨田堤構築に貢献した茨田連衫子を祀ったもの。

 ・元二本松神社は、菅公左遷でこの地を通過の折の手植えの松の樹下の下に祠を建て菅公の霊を祀ったもの。

 ・元若山神社は、菅公が三井本法寺に宿舎して寺僧と親交を深め、筑紫で薨去を知って氏神として祀ったもの。

  その後、後醍醐天皇が吉野からの帰途本法寺に立ち寄った際、萬壽殿の三字を賜ったと伝わる。

  元和元年(1615)には徳川家康が武運長久、五穀豊穣、悪魔退散を祈願して御弓式行事を催し、現在に引き継がれている。

【関連写真】

 一の鳥居2022_09_29 金只   標柱(友呂岐神社)2022_09_29 金只   

 一の鳥居の額(友呂岐神社)2022_09_29 金只   倒壊前の鳥居の柱2022_09_29 金只   

 二の鳥居2022_09_29 金只   手水所(二の鳥居)2022_09_29 金只   

 御所水2022_09_29 金只   御所水の布袋さん2022_09_29 金只   

 社務所2022_09_29 金只   三の鳥居2022_09_29 金只   

 拝殿2022_09_29 金只   稲荷大明神2022_09_29 金只   

 本殿2022_09_29 金只   裏参道の手水所2022_09_29 金只   

 裏参道全景2022_09_29 金只   裏参道の鳥居2022_09_29 金只   

 裏参道の標柱(友呂岐神社)2022_09_29 金只   案内板(三井のお弓式)2022_09_29 金只   

 三井のお弓行事縁起2022_09_29 金只   三井のお弓式2022_09_29 金只   

 友呂岐神社の祭神2022_09_29 金只      

 本堂横の舞台2022_09_29 金只   

 

【補足説明】

①.境内由緒書より

 友呂岐は鞆呂岐とも書き古代から皇室の荘園でした。御祭神の応神天皇(3~4世紀)別名大鞆別命と申し上げ、鞆とは天皇の立派なお姿の形容、呂岐は神を表す語でトモロキの語源がしのばれます。

②.お弓式

 ここ友呂岐神社の神事に、古くから近郊にしられた「お弓式」の行事があります。

 このお弓式は、毎年1月15日(昔は1月8日)に、旧三井氏神社跡で行われます。昔は、村役や有力者の子弟が紋付・かみしも姿で弓を引きましたが、現在では地元から選ばれた20才の青年2人が引くようになってます。

 弓は交互に2本ずつ3回、計12本の矢を的に向かって射ます。12本の矢は1年を意味し、矢の当り具合で天候と豊凶を占います。

    寝屋川市

【参考情報】

インターネット:友呂岐神社由緒