ここでは、圓通寺(津田元町) について紹介します。

在所:津田元町二丁目18-1

【ポイント】

①.天平時代、興福寺の僧宣教大師がえんず(円通)谷の平瀬に開基。葛城修験道場として隆盛を極めたが衰退していった。

  津田の地名のルーツとなった古代寺院「津田寺」を起源とする。

②.この頃、惟喬親王伝説(雪娘)が言い伝えられている。

③.寛文9年(1669)釈迦堂を再興

④.元禄13年。津田春日神社境内に移築

⑤.元禄14年(1701)、浄土宗知恩院末の遣教山円通寺となる。

⑥.宝暦11年(1761)、現在地に移転。本堂を建立。

⑦.山門は、旗本久貝家の旧長尾陣屋にあった医薬門を移したものと云わる。

⑧.河内三十三所観音霊場10番札所

【関連写真

 山門2013_04_22 金只   表札(圓通寺)2017_01_09 金只

 本堂2013_04_22 金只   庫裏2017_01_09 金只   

【補足説明】

①.菅原生涯学習市民センター 田中史生氏資料より

 圓通寺は、津田の地名のルーツとなった古代寺院「津田寺」として、現在の津田南町の山裾、小字平瀬付近に建立されたのを起源とします。

 その後荒廃し、寛文9年(1669)に再興された釈迦堂を元禄13年(1700)頃に津田春日神社境内に移し、元禄14年(1701)には寺社奉行に願い出の上、浄土宗知恩院末の遣教山圓通寺となりました。

 現在地に移転したのは、宝暦11年(1761)で、現在の本堂はこの時のものです。

 山門は、旗本久貝家の旧長尾陣屋にあった医薬門を移したものといわれ、部材が交換され、かなり改変を受けているとみられます。

 津田には、この他に長尾陣屋の長屋門(表門)も民家に移築されていましたが、すでに解体され現存していません。

②.惟喬親王伝説(圓通寺の雪娘)・・・枚方観光ボランティアガイド上谷氏の資料より

  櫻の季節、惟喬親王は津田の圓通寺により休息、茶を所望した。年若い娘が丁寧に接待した。翌年同じ頃、また寺を訪れた。去年の接待に出た娘は、病に倒れて亡く住職が接待にあたりました。親王は、「まことにはかないものよ、冬の白雪が春になって消えるように」とつぶやきました。村人達は親王の心根の優しさに、あの娘は雪の化身であったに違いないと、「雪娘」という名で語られるようになったとさ。

【参考情報】

Localwiki :惟喬親王伝説

インターネット:園通寺