ここでは、大塚神社 について紹介します。

在所:大塚町二丁目33-1

【ポイント】

①.祭神 ・高皇産霊神(タカミムスビノカミ)

     ・神皇産霊神(カミムスビノカミ)

②.建武2年(1335)5月当地大洪水の祭、2神の木像が流れ着きこれを僧侶恵慶(エケイ)が祀ったことに始まる。

【関連写真】

 神社全景2022_03_30 金只   大鳥居2022_03_30 金只      

 拝殿2022_03_30 金只   神社由来記2022_03_30 金只   

 標柱(祭神)2022_03_30 金只   標柱(祭神由来記)2022_03_30 金只   

 本殿2022_03_30 金只   稲荷社2022_03_30 金只   

 大塚殿の拝殿2022_03_30 金只    大塚殿の拝殿2022_03_30 金只   

 

【補足説明】

①.現地案内板より

 大塚神社の由来

 当神社は大塚に古くから鎮座する村社で、祭神・高皇産霊神(タカミムスビノカミ)と神皇産霊神(カミムスビノカミ)の2柱を祀る。建武2年(1335)5月当地大洪水の祭、2神の木像が流れ着きこれを僧侶恵慶(エイケイ)が祀ったことに始まる。

 産霊(ムスビレイ)は天地万物を生み出す神であり、「むすぶ」という言葉から諸願成就・縁結び・五穀豊穣・合格祈願に霊験神あらたかな神とされる。

 なお、大塚神社は現在の場所より淀川へりに位置したが、昭和16年(1942)の淀川改修工事のため、堤防っが後退したのに伴い、現在地に移転した。

 大塚の地名伝承

 平安時代後期(9世紀中頃)、清和天皇が皇太子の陽成天皇に譲位した後、日本諸国を巡ったという。そして当地の「松ヶ崎」に立ち寄り、小松原で休憩をとり淀川の風景を楽しんだ。。そのとき松の木に冠をかけたまま帰国され、気づいた村人はその王冠を埋めて「王塚」と名付けた。天皇の没後、社殿設けて清和天皇の霊を祀った。これが現在の大塚小神社「大塚殿」にあたる。