ここでは、農耕地跡 について紹介します。
在所:在所:安満遺跡公園内
【ポイント】
①.このエリアでは、古代人の農耕地を再現してます。
【関連写真】
【補足説明】
①.現地案内板(用水路と井堰)
お供えを持ってムラびとが集まります。井堰で用水路の水位を調節し、水田へ水を出し入れしました。
➁.現地案内板(畠の栽培活動の取組
安満(アマ)遺跡は、弥生時代の環濠集落跡です。安満人倶楽部歴史グループは、当時の景観をイメージしつつ、この安満遺跡公園に弥生の風景を創出することを目指して、栽培活動に取り組んでいます。
この畠では、弥生時代を中心に城門から飛鳥・奈良時代までに栽培されていたとされる植物を植えてます。
サトイモ・ダイズ・アズキといった、食するための植物、そして弥生の服(貫頭衲(カントウイ))の繊維をとるカラムシ、さらには染色材料のタデアイなど、いろいろな種類のものをさいばいしています。ナバナの黄色い花で季節感を演出する工夫もしています。
また、収穫体験や栽培体験を企画して、弥生時代を中心にその前後の時代の植物栽培を知っていただく活動に取り組んでいます。
③.現地案内板(栽培品種の説明(ダイズ&アズキ))
私達の食卓には多くのマメ類がならびます。その中でも、ダイズとアズキは消費量も多く大変身近なものです。
ダイズとアズキは、縄文時代から栽培されていたことがわかっています。ダイズの野生種は「ツルマメ」、アズキは「アブツルアズキ」といいます。これらを管理・栽培して次第に栽培植物となったようです。宮崎県王子山遺跡からは、約1万3千年前のツルマメの証拠(土器圧痕)が発見されています。
④.現地案内板(カラムシ(繊維をとるための植物))
「カラムシ」とは、繊維をとるために栽培されるイラクサ科の多年性植物です。このカラムシは、弥生時代の人々が着ていたとされる、貫頭衣(カントウイ)という服の材料としてつかわれていました。
安満遺跡からは糸を紡ぐ紡錘車(ボウスイシャ)や布を織る機織りの道具が出土しています。カラムシからとった繊維で糸を紡ぎ、その糸で布を織り、最後に布を編んで貫頭衣を作っていたと考えられています。
安満人倶楽部では、このカラムシを栽培し、貫頭衣を作る活動を行っています。
⑤.現地案内板(栽培品種の説明(サトイモ&ナバナ))
・サトイモは、東南アジアなどの熱帯地方が減算のタロイモの一種です。縄文時代に日本に伝来したといわれ、万葉集にも記載されています。
・ナバナは、アブラナ科の植物です。安満遺跡からはアブラナ科のかふんが検出されています。毎年3月に黄色い花が満開となり、春の訪れを知らせてくれます。
⑥現地案内板(檜扇(ひおうぎ))
別名烏扇(カラスオウギ)ともいう。葉っぱが扇をひろげた姿なのでこれが「檜扇」の名前の由来でしょう。夏に緋色のの花が咲き、s機には射干玉(ヌバタマ)と言う黒光りした種を付けます。
昔、紀志伊の国(和歌山県)で飛蝗(バッタ)が大量発生した時、天照大神の姉神・ヒルコ姫がこの扇で追い払ったと言う神話の世界、神代のじだいから存在していた勅物です。また、種の「ぬばたま」は、和歌の夜、闇、黒にかかる枕詞となっています。