ここでは、本澄寺 (ほんちょうじ)について紹介します。
在所:上牧町二丁目6-31
【ポイント】
①.宗派 日蓮宗寺院
②.沿革
・文明3年(1471)烏丸大納言資任の猶予権大僧都日順が開創。
・当寺に祀る祖師像は日蓮の自作と伝わる。
この像は、鎌倉で刻まれ、総洲、丹後を経て当地に安置されたと伝わる。
・江戸時代初期には、塔頭11坊を擁した大寺であった。
③.三好達治記念館
三好達治は昭和期の詩人
【関連写真】
山門全景2023_05_27 金只
山門前お標柱・案内板2023_05_27 金只
手水舎2023_05_27 金只
本堂2023_05_27 金只
鐘楼2023_05_27 金只
脇門2023_05_27 金只
本堂と客殿2023_05_27 金只
三好達治記念館2023_05_27 金只
【補足説明】
①.門前の案内板(本澄寺)より
足利義実植(ヨシサネ)将軍祈願所の日蓮宗法華山本澄寺は、文明3年(1471)に領主の内大臣烏丸資任(スケトウ)と権大僧都日順、摂津守護大名薬師寺氏らが神南備(カンナビ)の森を開き創建したとされる。一帯は木津・宇治・桂の三川が上手の山崎で合流し、淀川となる景勝地で、京都や奈良、丹波への物資を運ぶ船が行き交い、江戸時代の『淀川両岸一覧』には、水上から見た寺の大屋根が描かれている。
元亀元年(1570)に織田信長が浅い・朝倉・武田一門を攻めた際、本澄寺の檀徒で薬師寺氏の富松(牧)兼重(妻が朝倉義景の娘・勝光院)は、若狭小浜にあった日蓮自作の厄除け霊像を格護し、慶長4年(1599)に当寺祖師堂に安置した。後に浅井三姉妹の江(徳川秀忠の妻)の娘・当福門院(後水尾天皇の中宮)が、母方一門ゆかりの厄除け霊像に祈願したところ、悉く成就した。以降、尊像は広く信仰を集め、京阪奈良・岡山からも信仰者が淀川を所狭しと船で群参した。
境内に墓と記念館がある昭和の詩人・三好達治(1900~64)は第41世三好龍神の兄で大阪市西横堀の生れ。清新な詩集「測量船」、芸術院賞の詩集「駱駝の瘤にまたがって」等の代表作がある。
高槻市教育委員会
【参考情報】
Wikipedia:本澄寺(ほんちょうじ)
インターネット:たかつきナビ(三好達治記念館)