ここでは、滋願寺(高槻市) について紹介します。
在所:月見町4-1
【ポイント】
①.宗派:曹洞宗(ソウトウシュウ)
➁.本尊:
③.寺歴
・聖徳太子(6世紀)の開創と伝わる。
・天正年間、高山右近により堂宇を焼失。
・その後再興され、元文4年(1739)に天台宗から曹洞宗に転じた。
【関連写真】
(曽洞宗滋願寺)2023_09_23 金只
一般道からの参道2023_10_04 金只
参道横の案内板2023_10_04 金只
山門2023_10_04 金只
山門横の標識(滋願寺)2023_10_04 金只
本堂2023_10_04 金只
【補足説明】
①.現地案内板(滋願寺)より
滋願寺は、太子山と号して洞宗に属し、聖観世音を本尊とする・
創建の年月は不詳であるが、寺伝によれば聖徳太子の開創といい、往時は天台宗に属していたが、天正年間に高山氏の兵火で焼失。その後再興され、元文4年(1739)曹洞宗に転じた。
境内には、本堂や庫裡などがあり、市街化された住宅地の中で深い緑に包まれ、4市の樹林保護地区に指定されている。
当時の存する慈願寺山周辺は、かって前方後円墳や円墳などがあり、神獣鏡やガラス小玉、埴輪片などが出土している。またこの山の上は、黄褐色を帯びた粘土質の赤土で、今は廃窯(ハイヨウ)となっている古曽部焼きの胎土として、初代と2代の五十嵐新平が用いた。
一方、文政3年(1820)、当寺の西側にある真上の山中から木棺(箱)が見つかり、なかには金銅製墓誌(キンドウセイボシ)と人骨が納められていたという。
墓誌は、銅板の表裏に鍍金(トキン)が施され、130字の銘文と唐草模様などが刻まれていた。銘文から、被葬者は奈良時代の貴族石川年足であり、当寺の墓制を知る貴重な資料として、昭和27年3月、国宝に指定された。
平成元年8月 高槻市教育委員会
【参考情報】
インターネット:曹洞宗滋願寺