ここでは、興楽寺 について紹介します。
在所:桂本三丁目20-9
【ポイント】
①.天平5年(733)、行基僧正が開基。
②.元亀元年(1570)に至り高槻城主高山右近が焼失させた。
③.寛文8年(1668)村人が一宇を建立、これが現在の本堂である。
④.宗派 浄土宗
⑤.本尊阿弥陀如来
【関連写真】
【補足説明】
①.門前の縁起説明盤より
当山は、聖武天皇の御宇天平5年(733)行基僧正が開基された畿内49寺院の一つにして昔時は堂宇壮厳を極め朝野の崇敬をあつめた。霊験あらたかな御木造十一面観音菩薩は正に千古の秘佛である。
また境内佛堂の聖観音は御身高一尺五寸の霊像なる力作と云う。
鎌倉時代の文永5年(1268)近衛公は御本尊を深く尊信され国家安泰の祈願法會を盛大営んでいる。更に室町時代の永享8年(1436)足利将軍義教は執事の細川右京太夫に命じ田地を寄附して再興したが元亀元年(1570)に至り高槻城主高山右近が異教を信じて一山堂宇を残らず破却し火を放ち焼失せしめた。
この時猛火の中より白鷺が一羽飛び去り河の洲に止った。人々が奇異の思いをなして行ってみれば御本尊観世音菩薩であったと云う。寛文8年(1668)中興の権津師聖秀上人は村人と諮り一宇を建立した。それが現本堂である。
爾来浄土宗知恩院末寺に列し初代住職円誉寂性比丘師より現住光誉まで参百十有余年を数える。
また山内には世界平和と世の母の苦を救う為に昭和29年とき通産大臣島崎達之助氏が発願建立した悲母観音石佛を安置する。
昭和63年」1月吉日 興楽寺護持発起人