ここでは、芥川金毘羅灯籠 について紹介します。
在所:芥川町四丁目19
【ポイント】
①.高槻市のこの灯篭は、文政12年(1829)に建立
・江戸時代には、森石松の金毘羅代参でも知られるように金毘羅参りが大流行した。
・建立目的は、金毘羅大権現(香川県琴平町)参拝者の集合場所としての目印。
・同様の趣旨で、日本各地に金毘羅神社・灯籠が建立された。
【関連写真】
金毘羅大権現常夜燈2023_10_11 金只
灯籠支柱(金比羅大権現常夜燈)と説明板2023_10_11 金只
灯籠支柱(従是道沙汰六十三里半) 2023_10_11 金只
灯籠支柱(文政一二年) 2023_10_11 金只
【補足説明】
①.現地案内板(芥川の金毘羅灯籠)
江戸時代以降、公開安全の守として金毘羅大権現を崇拝する金毘羅信仰がさかんにいなり、信仰で結ばれた集団(講)を各地で組織して、代表者が参拝しました。
この灯篭は、各地の参拝者のための道標・常夜燈として芥川の人々により文政12年(1829)に建立されたもので、ここから金毘羅大権現を祀る像頭山(ソウズザン)(香川県琴平町)までの道程63里半(約254km)を示しています。
「芥川宿絵図」には、灯籠が現在地よりも川寄りに描かれており、当初はその一に建てられたとみられます。
平成29年3月 高槻市教育委員会
【参考情報】