ここでは、金龍寺 について紹介します。

在所:茄子作北町36-19

【ポイント】

①.開基には、2説あるが千年以上の歴史を持つ

 ・釈尊寺の別院で、奈良時代、行基菩薩による開基

 ・天徳2年(958)の創建

②.天台宗→浄土宗

③.天正元年(1573)安貞から14代は尼寺であった。

④.大阪夏の陣で徳川方の陣地となり堂宇が破損、寛永年間(1622~1644)に再興

⑤.東照宮大権現を始め4代将軍までの位牌があるとの事

⑥.宝暦4年(1754)田中家が鋳造した梵鐘があったようだが、現在鐘楼もない。

⑦.元宮記念碑釈尊寺に残る記録に「鎮守春日大明神、三宝荒神両社有り

⑧.河内三十三所観音霊場 25番札所

【関連写真】

 山門入口2013_06_16 金只  本堂2013_06_16 金只

 春日神社(茄子作)の元宮記念碑2013_07_01 金只​   力石全景2013_06_16 金只​   

【補足説明】

①.インターネット情報

 当山は元は霊鷲山 釈尊寺の別院で、奈良時代、行基菩薩の開基とも伝え、或は天徳2年(958)の創建とも伝わる。この差は200年もあるが、いずれにしても1000年以上の歴史を持つ寺院である。

 元は天台宗であったといい(現在は浄土宗)、天正元年(1573)安貞の中興。安貞から14代は尼寺であった。

 大坂夏の陣の際、徳川方の陣地となったとも伝わるが、この戦乱で堂宇が破損、寛永年間(1622~1644)に再興された。当山には東照宮大権現(徳川家康)を始め4代将軍までの位牌があるとの事で、このことは徳川方の陣地になった事との関わりあると思われる。

 当寺には、かっては宝暦4年(1754)田中家が鋳造した梵鐘があったようだが、現在は鐘楼はなく、その音色は聞くことができない。

 『枚方市史』にはこの市史が編纂された昭和26年(1951)当寺の本堂は貞享5年(1688)の建立としているが、現在の本堂は鉄筋コンクリート造りで、今から約40年前に建て替えられている。

 本尊は阿弥陀如来、33所本尊の薬師如来は行基の作と伝わる。

②.元宮碑  
 かっては境内に荒神宮があり、枚方市史によると、釈尊寺に残る記録に「鎮守春日大明神、三宝荒神両社有り」とあり、氏宮春日神社(茄子作3丁目)に対して、元宮と称していたが、明治初年の神仏分離により、春日神社に合祀された。この碑はその名残の記念碑とのこと。 

③.力石・・・現地「ちから石」由来碑より

 その昔より故老の言伝へによれば在所の若い衆が成人となる時期に気力と体力を錬磨して一日も早く米俵をかつげるよう競い合った由。当山地蔵堂有しがが散失せぬよう元宮碑に列して保存するものなり                   昭和五十八年四月